1990年代画像掲示板 

1990年代画像掲示板

1:匿名>スレ主さん、まだ載せたい記事や画像が沢山あるので、
>新スレ立てるのを1週間ぐらい待っています。

既に10日以上経っているので、立てました。
前スレのスレ主さん、ご了承下さい。

80年代のキョンキョンは、80年代板のスレに載せて下さい。

これは、JUNONの92年暮れぐらいの号の、3ページ目です。<
2:匿名前スレで途中だった、月刊カドカワの92年2月号の続きを載せていきます。後3ページです。
これは14ページ目で、本人による小泉今日子作詞作品解説の3ページ目です。
「Happy Blue」も、「GOOD MORNING-CALL」と同様、好きな曲でした。
「曲のタッチと詞がミスマッチしている感じ」と言っています。
詞はBlueな感じでも、キョンキョンのボーカル
3:匿名月刊カドカワの92年2月号の、15ページ目です。
アルバム「No.17」では、「ドライブ」と「mother MARIA」が好きです。
沢山作詞する事によって、恥ずかしさが無くなってきたのでしょう。
作詞に前向きな姿勢が出てきたと、言っています。
書き始めたら30分ぐらいで出来るそうですが、それまではすごくかかると言っているのは、
曲を聞いて、日常生
4:匿名月刊カドカワの92年2月号の、16ページ目(最後)です。
「君に届くかな?」は、歌っているキョンキョンの楽しさが伝わって来る曲で、大好きです。
作詞した小泉今日子と、作曲のOTOの気持ちが、ピッタリ合っているからでしょう。
「愛は勝つ」「どんなときも」「それが大事」と、応援ソングが流行っていた頃であり、
小泉今日子なりの、ファンへの応援ソングにも聞こえます。
5:匿名真面目な文章の画像が続かないように、たまには息抜きに下世話な雑誌を。
フライデーの92年6月頃の号の、1ページ目です。
アルバム「afropia」で、「プロセス」「風になりたい」の2曲(2曲ともいい曲でした)を
提供した藤井尚之との、2ショットをフライデーした写真です。
6:匿名↑5の訂正:6月頃の号→9月頃の号

フライデーの92年9月頃の号の、2ページ目です。
(8月下旬と書いてあるので、9月頃の号でした。)
この頃キョンキョンが一軒家に住んでいた事は、この年の暮れに放送された
「ドラキュラが狙っている」というテレビ番組で、告白しています。
「いざ住んでみると意外に面倒くさい。」と言っていましたが、
7:匿名フライデーの92年9月頃の号の、3ページ目です。
フミヤとの深夜デートを、フライデーされた事は、後で知りました。
確か、フライデーが撮影したベストカット集の中に入っていました。
翌93年2月発売の大ヒット曲「優しい雨」の、カップリング曲「永遠の友達」
(作詞:小泉今日子)は、もしかしたら藤井尚之との交際が元になっているのかも知れません。
4で書いた
8:匿名フライデーの92年9月頃の号の、4ページ目です。
キョンキョンが住んでいた一軒家は、所属事務所が2年前に購入したそうです。
80年代に、給料を沢山もらっても、お金の使い道に悩むので、
給料を上げないように事務所の社長に頼んだそうですが、
社長がそんなキョンキョンのために、買っておいたのかも知れません。
家事が好きなキョンキョンは、近所にある商店街に
9:匿名JUNONの92年暮れぐらいの号の、1ページ目です。

80年代スレにも書きましたが、昨日、オールナイトニッポンGOLD聞きました。
途中で、キョンキョンの個人スマホ?宛に、のん(能年玲奈)からメールが来たと言ったり、
ライブ感一杯の番組でした。能年玲奈とは、今でも仲良しだそうです。
制作事務所「明後日」を設立したのも、舞台やライブハウスなどの、<
10:匿名JUNONの92年暮れぐらいの号の、3ページ目です。(スレ画のトリミング前です。)
2ページ目は、後で載せます。

オールナイトニッポンGOLDの感想の続き。リスナーからのメールで、
「芸能界を辞めたくなるほど悩んだ事はありますか?」という質問に対し、
いつでも辞める覚悟で仕事しているし、仕事の結果に対してあまり期待していないので、
がっ
11:匿名ザ・テレビジョンの92年10月?号の、1ページ目です。
2時間半(正味2時間ぐらい)ドラマ「ヒマラヤの赤い自転車」の特集が、
3ページに渡って、載っています。
撮影は92年4月〜で、連ドラ「あなただけ見えない」の後、まもなくヒマラヤロケに行きました。
それが10月に放送されるので、テレビ出演が長く途絶える形になり、
エイズ騒動の一因になりました。<
12:匿名ザ・テレビジョンの92年10月?号の、2ページ目です。
このドラマの主演を引き受けたのは、
前スレ25(http://1990s.harikonotora.net/img/481-25.jpg)で載せた、
子役の井崎充則と共演したかったからだそうです。
過酷な猛暑や生水のせいで、バタバタとスタッフが倒れていく中でも、元気なキョンキョン。
その元気は
13:匿名ザ・テレビジョンの92年10月?号の、3ページ目です。
ネパールの大自然が、日本の原風景を思わせ、「懐かしい」と感じる小泉今日子。
幼い頃の記憶をいつまでも大切にしているから、そう感じる事が出来るのでしょう。
そんな大自然の中で暮らす人々の目を見て、「かわいい」と思うキョンキョン。
この「かわいい」の意味は、純粋な目をしているという事でしょう。
14:匿名フラシュの92年10月頃の号の、1ページ目です。
記事は、映画「病は気から」についてですが、他の雑誌にも沢山載っているので、
ここでは、上のカットに載っている2時間ドラマ「華岡青洲の妻」について。
もちろん久世光彦演出のドラマです。華岡青洲役の三浦友和について、
真剣な表情で冗談を言うので、吹き出してしまったと、この頃言っていました。
2006年の
15:匿名フラシュの92年10月頃の号の、2ページ目です。
キョンキョンらしい爽快な笑顔は、健在です。
91年に「あなたに会えてよかった」が、これまでトップだった「迷宮のアンドローラ」の
3倍近くを売り上げる、自己最高のミリオンセラーを記録しました。
普通なら92年は、歌手活動を重点的に行うはずですが、そうしないところが、
いい意味でファンを裏切る事が大好き
16:匿名出典不明(忘れた)の女性雑誌の、92年暮れぐらいの号に、
キョンキョンのCMについての記事が、6ページに渡って載っています。その1ページ目です。
クノール・カップスープのCMは、デカパジャマのような庶民的な可愛らしさのあるCMから、
イカ天でデビューしたフライング・キッズと共演し、シングル「見逃してくれよ」の元になった、
弁当向上委員会のCMで、流行語の発信
17:匿名出典不明の女性雑誌の、92年暮れぐらいの号の、2ページ目です。
7バージョンある「グッドモーニング、バッドモーニング」のCMは、
日常ありそうな出来事を元にしているため、最後の決めゼリフとともに受けたのでしょう。
15秒という短いCMの時間内に、日常ありそうな出来事のストーリーを簡潔に纏め、
落ちを付けて、それが決めゼリフとなる作りは、コイズミCMの中でも代
18:匿名出典不明の女性雑誌の、92年暮れぐらいの号の、3ページ目です。
ビクターの田村ディレクターとは長い付き合いなので、
「彼女は努力の人ではないと思う」と言う表現をしていますが、
努力を表面に見せない人だという事が分かっているので、こう表現したのでしょう。
この頃は毎年、人間として成長するための目標を決めて、それに向かって努力していました。
広告批評の
19:匿名出典不明の女性雑誌の、92年暮れぐらいの号の、4ページ目です。
JR東日本の「答えは15秒後」のCMも、斬新でした。
この当時のCMスタッフのやる気と情熱は、本当に素晴らしかったと、
現在の小泉今日子が、振り返っていました。
CM自体の発想が素晴らしいだけでなく、JR東日本のCMとCMの間に他の15秒CMを
必ず入れなければならず、テレビ局の編成と
20:匿名出典不明の女性雑誌の、92年暮れぐらいの号の、5ページ目です。
スーパーマイルドシャンプーのCMは、10年近く続きました。
化粧品と合わせると、資生堂のCMには20年近く出ている事になります。
他にも、クノール・カップスープ、ベンザエース、JR東日本、午後の紅茶と、
5年以上続いたCMが多いのが、コイズミCMの特徴です。
気軽に他社から買い換えられ
21:匿名出典不明の女性雑誌の、92年暮れぐらいの号の、6ページ目です。
最後のページは、4年ぶりの主演映画「病は気から 病院へ行こう2」についての記事です。
「私にしか演れないと思います」
末期癌の告知で落ち込んでいたヒロインが、その癌を売りにしてCMクィーンへ上り詰めていく役。
確かに、初代CMクィーンのコイズミにしか、許されない役です。
どんなに上手い
22:匿名ザ・テレビジョンの92年暮れぐらいの号の、1ページ目です。
4ページの内、最初の2ページは主演映画「病は気から 病院へ行こう2」の記事&グラビアです。
主演映画で主題歌を歌わないのは、4本目のこの映画が初めてでした。
主題歌「愛があれば大丈夫」は、1年後に「ロマンスの神様」が
ミリオンセラーになる広瀬香美のデビュー曲です。
最初は「愛があれば大丈夫
23:匿名ザ・テレビジョンの92年暮れぐらいの号の、2ページ目です。
主題歌は歌わないけれども、劇中で歌は歌っています。
癌を売りにしてCMクィーンへ上り詰めた主人公は、本物のキョンキョンのように、
雑誌の表紙を飾り、テレビのインタビューを受け、コンサートも開くという人気アイドル扱い。
普段は引っ込み思案で、カラオケで好きな曲「オリビアを聴きながら」がかかっても
24:匿名ザ・テレビジョンの92年暮れぐらいの号の、3ページ目です。
かくし芸大会の「病は気から 病院へ行こう2」のパロディーコントの記事です。
こちらは、看護婦役。セットが大掛かりで、派手な演出がお正月番組らしかったです。
パロディーコントの出来としては、
「とんねるずのみなさんのおかげです」の方が、面白かったですが。
テレビ局が作る昨今の映画では、そのサ
25:匿名ザ・テレビジョンの92年暮れぐらいの号の、4ページ目です。
93年1Qのドラマ「愛するということ」の記事が中心のページです。
前半は、緒形直人がしつこく小泉今日子を追いかける「恋愛ターミネーター」ぶりが、
話題になりました。その前半は、この写真のように地味な髪型の小泉今日子ですが、
後半、緒形直人を好きになってからは、束ねていた髪を解き、
思わず見
26:匿名NONNOの92年暮れぐらいの号の、1ページ目です。
この年の暮れは、4年ぶりの主演映画「病は気から 病院へ行こう2」のPRのためか、
女性誌を中心とした雑誌に、インタビューが多数載っていました。
27:匿名NONNOの92年暮れぐらいの号の、2ページ目です。
「小さいころから、おしゃれとか服のセンスに全然自信がなくて、
 買い物に行ってもいつまでも選べなくて...」
2000年の深夜番組で、自分が着る服をデザイナー3組にオーダーして、
その中から選ぶ時も、「やーだ、決められない。」と悩んでいました。
ファッションへのこだわりがないからこそ、どんな服で
28:匿名NONNOの92年暮れぐらいの号の、3ページ目です。
体感時間を短く感じる事が、若さを保つ秘訣のようです。
同じ事をおっしゃった、大ベテランの女優さんは、
久世ドラマで度々共演している森光子さんかも知れません。
「以前は自分も早く大人にならなきゃ」。
デビュー1周年の手記では、「早く大人になりた〜い」と書いていました。
(その内、80年代
29:匿名NONNOの92年暮れぐらいの号の、4ページ目です。
「透き通るくらいに壊れそうな人。」を、いい女だと思っても、自分のタイプじゃなく、
「精神的にたくましい人。」に憧れる小泉今日子。
「すごく意地悪なところとか、イヤなところとかを隠さずに、自分の魅力に加えたい。」
国民的アイドル・キョンキョンのイメージが浸透していた時期なので、
これを実現するのは
30:匿名NONNOの92年暮れぐらいの号の、5ページ目です。
27で言っている、「雪の中に立っている」イメージで撮ったカットです。
ちなみに、26は「人形になった気分」、27〜28は「外国人」をイメージしています。
自分だけのストーリーを考えながら撮影されているそうですが、
ちゃんとそのイメージが伝わってきます。
31:匿名JUNONの92年暮れぐらいの号の、2ページ目です。(1ページ目は、9に載せています。)
当時フジテレビで、映画「病は気から 病院へ行こう2」のメイキング番組を
放送していましたが、真田広之や三上博史と、本当に仲良く見えました。
真田広之とは、この後94年のドラマ「僕が彼女に借金をした理由」でも共演しています。
三上博史とは、映画のキャンペーンで全国を回った
32:&◆PYWLuHkhtw
33:匿名JUNONの92年暮れぐらいの号の、4ページ目です。(3ページ目は、10に載せています。)
また文章がアップ出来なかったので、jpg画像にして次に貼ります。
34:匿名↑33の文章を、jpg画像にしました。
35:匿名JUNONの92年暮れぐらいの号の、4ページ目です。
がんに対しても前向きな発言をしている、コイズミらしい笑顔のアップです。

>> 32
「裏小泉」の事を書いたら、早速38ページ目のオリジナルスキャンをして下さり、
ありがとうございます。
月刊誌の頃の宝島の連載の、3回目の前半です。
小泉今日子無責任編集と書いてあ
36:匿名↑35の訂正:4ページ目→5ページ目

JUNONの92年暮れぐらいの号の、6ページ目です。
今年のテーマを決めて、公に公開していたのは、この年までだったと思います。
92年のテーマ「人にまかせられることはまかせよう。」
歌手としては、プロデュースや作詞も自分で行っているので、人に任せられる部分が多い
女優業をメインにしたのでしょう。
37:匿名WHAT's INの92年暮れくらいの号の、1ページ目です。
女優業をメインにした92年だったので、歌手業としては、シングル「自分を見つめて」と、
このミニアルバム「Banbinater」のリリースだけでした。
Koizumix Production名義にしているのは、自らの作詞で等身大の歌を歌う小泉今日子とは
別の路線だという事を、はっきり宣言す
38:匿名WHAT's INの92年暮れくらいの号の、2ページ目です。
ミニアルバム「Banbinater」のネーミングは、イタリアに行った時「バンビーナ」と呼ばれる事が
きっかけとなり、イタリア語の「Banbinata」(子供っぽい)と、ターミネーターを合わせた
造語です。前年「ターミネーター2」が大ヒットしていました。
ここんところ優等生っぽかったので、
39:匿名WHAT's INの92年暮れくらいの号の、3ページ目です。
FM番組「コイズミ・イン・モーション」の構成や、「裏小泉」の編集をした川勝正幸さんが、
紹介した同世代のアーティストたちと仲良くなり、それが形となって表れたのが
このミニアルバム「Banbinater」です。
インストと、カバー曲「東京ディスコナイト」以外は、すべてリミックス版のベストア
40:匿名出典不明(忘れた)の雑誌の92年暮れぐらいの頃の、1ページ目です。
ここに書いてあるように、カバー曲アルバム「ナツメロ」と同じようなアルバムです。
アレンジが際立ち、遊び心もいっぱいという感じ。
「ドラマの撮影に行ったら、そこで楽しい事を見つけるし、歌の仕事でも、
 コマーシャルの仕事でもそれは同じでね。」
2013年の「あまちゃん」に続いて始まる
41:匿名出典不明(忘れた)の雑誌の92年暮れぐらいの頃の、2ページ目です。
小山田圭吾は、フリッパーズ・ギター時代に、小沢健二とともにコイズミ・イン・モーションに
出ていました。東京スカパラダイス・オーケストラや、スチャダラパーも、
コイズミ・イン・モーションに出演して、仲良くなった人達です。
93年のJR日本のCMでは、小沢健二と一緒に出演し、「潮風の歌」をデュエ
42:匿名92年12月10日発行のムック本「裏小泉」の、表紙カバーです。
このナスの着ぐるみは、久本雅美から借りました。
当時は、ナスの着ぐるみを着る関西仕事でも、気取った表情を心がけた。
と言っていました。確かに、表情は真面目な感じです。
しかし、このカットの撮影前日に恋人と別れたキョンキョンは、着ぐるみを着た自分を見ながら、
「こんなナーバスな気分の時に
43:匿名ムック本「裏小泉」の、0ページ目です。
ページ数が書いてあるこの本の、1ページ目の前のページになります。
「alternative works」本流ではない仕事という意味です。
この本の内容・構成は、後のページに説明が書いてあります。
表紙カバーに書いてある「小泉今日子無責任編集」という言葉が、
92年のテーマ「人にまかせられることはまかせよう。」
44:匿名ムック本「裏小泉」の、1ページ目です。
タイトル文字だけが、大きく載っている1ページ目です。
45:匿名ムック本「裏小泉」の、2ページ目です。
大きく書いてある「裏ピース」の意味は、次のページで本人が説明しています。
46:匿名ムック本「裏小泉」の、3ページ目です。
キョンキョンは、ピースサインが好きでした。歌番組に出演していた頃、
歌の前のインタビューの時に、ちょっと遠慮しがちにピースサインを出しているキョンキョンは、
本当に楽しそうでした。
この文章では、正面切っての大ピースサインが、シングル曲やドラマ・CM・バラエティー出演と
いうメジャーな仕事の事を言っていて、裏
47:匿名ムック本「裏小泉」の、4ページ目(目次の1ページ目)です。
この本には、コンサート会場でしか売っていないコンサートツアーのパンフレット3回分
(89年、90年、91年)が載っていて、正に裏のコイズミを見る事が出来ます。
48:匿名ムック本「裏小泉」の、5ページ目(目次の2ページ目)です。
雑誌「宝島」の連載が、メインになっている本です。
その内、テレクラ名言辞典・コイタイ・FMスナイパー・人生手帳の4回が、
FM「コイズミ・イン・モーション」のゲストとの対談を、活字化した回です。
49:匿名ムック本「裏小泉」の、6ページ目です。
雑誌「宝島」(当時は月刊)の連載24回分と、コンサートツアーのパンフレット3回分を
纏めた本であり、「小泉今日子やんちゃ時代」の紙による記録である事を説明しています。
「裏仕事」が「表」になっていく過程は、「コイズミ・イン・モーション」を毎週欠かさず、
聞きながら録音していたので、良く分かります。
Koizu
50:匿名ムック本「裏小泉」の、7ページ目です。
今年の目標の「スーパーウルトラハード」は、89年のコンサートツアータイトルでもあります。
このツアーは、キョンキョン自身がプロデュースしています。
「わからない人はついてこないでよろしい。」という「裏仕事」の精神で、
コンサートツアーのパンフレットも作られています。
次回からそのツアーパンフを載せますが、横長
51:匿名ムック本「裏小泉」の、9ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、1ページ目になります。
1ページ目から、アーティスティックなデザインになっています。
52:匿名ムック本「裏小泉」の、8ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、2ページ目になります。
キョンキョンは、映画「快盗ルビィ」のポスターに小さく映っているだけです。
「わからない人はついてこないでよろしい。」と言う
裏コイズミの声が聞こえてきそうなページです。
53:匿名ムック本「裏小泉」の、8〜9ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、3〜4ページ目になります。
最初は2ページ連結しないつもりだったので、繋ぎ部分が少し削れています。
これは、2ページ連結しないと、文章が繋がらなくなりますからね。
パリが好きなKYON2を意識した文章と、「地下鉄のKYON2」は、もちろん創作です。
編集の川勝
54:匿名ムック本「裏小泉」の、11ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、5ページ目になります。
これも本当は、次のページと繋いだ方がいいかも知れませんが、
繋げると文字が小さくなるので、そのままにします。
キョンキョンがうさぎ飛びをしているのは、次のページで、
巨大な磁石を持っているから。という設定です。
55:匿名ムック本「裏小泉」の、10ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、6ページ目になります。
よく見ると、後ろのマネキンの格好をしているのも、キョンキョンのようです。
56:匿名ムック本「裏小泉」の、11ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、7ページ目になります。
創作文章の最後から次のページにかけて出てくる、ジム・ジャームッシュ監督の映画は、
「ミステリー・トレイン」でしょう。もちろん、永瀬正敏を一躍有名にした映画です。
キョンキョンが永瀬正敏と出会うのは、この4年後。運命を感じる創作文章です。
57:匿名ムック本「裏小泉」の、10ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、8ページ目になります。
「ある少女歌手」は、工藤夕貴の事です。その後ハリウッド女優にまで上り詰めた努力家です。
小泉今日子とは正反対のタイプかも知れません。真面目すぎて、
アイドル時代はテレビ番組で、数々のエピソードを残しています。
最近の小泉今日子がインタビュ
58:匿名ムック本「裏小泉」の、13ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、8ページ目になります。
「地下鉄のKYON2」ダイナマイト編も創作で、遊び心たっぷりのツアーパンフです。
59:匿名↑58のの訂正:スーパーウルトラハード」の、8ページ目→9ページ目

ムック本「裏小泉」の、12ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、10ページ目になります。
ダイナマイトの長回しは嘘でしょうが、同時期に発売されたビデオ
「KYONGKING HONGKONG」では、香港でワイヤーアクションに挑戦しています。
60:匿名ムック本「裏小泉」の、13ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、11ページ目になります。
kyonの二乗と書いてkyon kyonと読むのは、海外では通じないでしょうね。
BB(ブリジット・バルドー)や、CC(クラウデゥア・カルディナーレ)のように、
キョウコ・コイズミは、KKと呼ばれるはずです。
61:匿名ムック本「裏小泉」の、12ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、12ページ目になります。
この頃は、カンヌ映画祭には縁の無かった小泉今日子ですが、
後に「トーキョーソナタ」で、カンヌ映画祭のレッドカーペットを歩いています。
62:匿名ムック本「裏小泉」の、15ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、13ページ目になります。
編集の川勝正幸さんの60年代カウンターカルチャー好きと、
小泉今日子の60年代好きが一致して、このようなツアーパンフになったのかな、と思います。
63:匿名ムック本「裏小泉」の、14ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、14ページ目になります。
ツアーパンフは、次のページから違う内容になるので、ここで一休みし、
次回からは、雑誌の記事を載せて行きます。
64:匿名月刊カドカワの93年2月号の、目次です。
90年の月刊カドカワでは、歌手・小泉今日子を総力特集していましたが、
この号では、前年に女優業を増やしたため、女優・小泉今日子を総力特集しています。
65:匿名月刊カドカワの93年2月号の、1ページ目です。
直筆で書いてある言葉は、映画「病は気から 病院へ行こう2」のメッセージであると同時に、
悔いのない生き方をしてきた小泉今日子だから、言える言葉です。
66:匿名月刊カドカワの93年2月号の、2ページ目です。
「飾らない誇り」というタイトルは、小泉今日子にピッタリだなと思います。
どんなに芸歴が長くなっても、偉そうな態度が一切無く、
常に自然体です。それは、50代になった今でも同じです。
67:匿名月刊カドカワの93年2月号の、3ページ目です。
70年までは、歌手・女優・バラエティタレント・グラビア系等、
芸能人は分業制でした。アイドル歌手が誕生した71年から、次第にアイドルが、
歌手・女優・バラエティ・グラビア等、全てを一人でこなすようになり、
アイドル全盛期の80年代は、そのピークとなります。
アイドル冬の時代が到来するとともに、再び歌手
68:匿名月刊カドカワの93年2月号の、4ページ目です。
元気で活発なイメージのアイドル・キョンキョンの素顔は、内気で引っ込み思案な少女、
小泉今日子でした。そんな小泉今日子は、恥ずかしがり屋で、感情を表に出す事もありません。
その小泉今日子が、内にこもった感情を、表に出してもいい職業が女優だという事を知り、
小さい頃に漠然と好きだった女優を、職業として好きになって行
69:匿名月刊カドカワの93年2月号の、5ページ目です。
小学校高学年〜中学生の頃にやっていた「女優さんごっこ」。
台詞を声に出して読んだり、カセットテープに録音したりした経験が、
小泉今日子の説得力のあるナレーションに繋がっていったのかも知れません。
恩師である演出の久世光彦から言われた、声を出して新聞を読む練習の成果もありますが。
デビューから5年間ぐら
70:匿名月刊カドカワの93年2月号の、6ページ目です。
久世光彦演出の最初の主演ドラマ「明日はアタシの風が吹く」で、
主演女優としての心構えを、久世光彦に叩き込まれました。
恩師・芸能界の父親と、久世光彦の事を言っているのは、毎日怒られた経験からでしょう。
最近のドラマの現場では、怒る演出家がいなくなって、若手は可哀想だと言っています。
主演女優としての自
71:匿名月刊カドカワの93年2月号の、7ページ目です。
「お芝居以外でもね、自分じゃなきゃこうやれないって思うことをやりたい。
 私でなくてもいいのなら、やらなくていいんだもんね。」
仕事に対するこういう姿勢が、他のアイドルや女優とは一線を画した、
アイドル・キョンキョンや女優・小泉今日子の魅力を放っていると思います。
今回の映画「病は気から 病院へいこう
72:匿名月刊カドカワの93年2月号の、8ページ目です。
「救いようのない暗い役って私には来なかった。」
98年の映画「踊る大捜査線」でのゲスト出演の役まで、ありませんでした。
その日向真奈美役を、キョンキョンが楽しんで演じている事を知った本広克行監督は、
2010年の「踊る大捜査線」三作目で、日向真奈美役を膨らませていました。
キョンキョンに日向真奈美役を
73:匿名月刊カドカワの93年2月号の、9ページ目です。
10年を超えても、なおトップアイドルとして活躍を続けていたのは、
女性アイドルではキョンキョンだけでした。特に90年代前半は、
80年代のトップアイドル達が次々とアイドルを卒業して行く中、
キョンキョンは国民的アイドルと呼ばれ、より注目される存在となります。
他に誰も経験した事のない、長い間トップアイ
74:匿名月刊カドカワの93年2月号の、10ページ目です。
詳しくは67で書きましたが、美空ひばりさんの事を、
テレビ出演時に聞かれた時も、同じ事を言っていました。
同世代の女の子が共感するアイドルのスタイルを確立したキョンキョン。
アイドルという職業が、歌手・女優・CM・バラエティー・グラビア等、様々なジャンルの仕事を
持っている事を自覚し、各ジャンルでバ
75:匿名月刊カドカワの93年2月号の、11ページ目です。
CMスタッフが率先してキョンキョンの動作をしてくれる、熱い気持ちにグッときちゃう
キョンキョンが演じているから、CMの効果が絶大になったのでしょう。
たとえ才能があるスタッフても、熱い気持ちがなければ、CMを含めていい仕事は出来なかったと
思います。心がない人達の所へは絶対行けないと、言っています。
76:匿名月刊カドカワの93年2月号の、12ページ目です。
92年は、意識して女優業を増やした結果、女優業に対して、より貪欲になり、
演じる側の視線で映画を見て、自分のストックにしちゃうと、言っています。
そんな気持ちの93年に、映画俳優として上り調子の永瀬正敏と出会います。
仕事の面でも、グッドタイミングだったのでしょう。
77:匿名ムック本「裏小泉」に戻って、15ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、15ページ目になります。
(白黒の文字ばかりの画像が続かないように、区切りのいい所で交互に載せて行きます。)
当時仲の良かった漫画家・岡崎京子のマンガ「アイドル刑事」が、6ページに渡って載っています。
78:匿名ムック本「裏小泉」の、14ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、16ページ目になります。
キョンキョンは、仕事の合間(待ち時間)に、フラッとひとりで外に出かけ、
周りのスタッフをハラハラさせる事が多かったそうですが、
それを上手く「アイドル刑事」に取り入れています。
79:匿名ムック本「裏小泉」の、17ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、17ページ目になります。
今日は、ネットの調子が悪いので、画像だけ見て下さい。
80:匿名ムック本「裏小泉」の、16ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、18ページ目になります。
81:匿名ムック本「裏小泉」の、17ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、19ページ目になります。
「アイドル刑事」の5ページ目まで読んで、最初から出てくるHAL-TVが、
映画「2001年宇宙の旅」に出てくる、反乱するコンピュータHAL-9000から
付けた名前である事が分かります。
82:匿名ムック本「裏小泉」の、16ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、20ページ目になります。
最後にも出てくる「靴にがびょうが」のエピソードは、キョンキョンが子供の頃に
好きだったというドラマ「赤い靴」に出てくるエピソードなのでしょうか。
岡崎京子も好きだったから、2回も載せているのかも知れません。
83:匿名ムック本「裏小泉」の、19ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、21ページ目になります。
この時期に発売されたビデオ「Fade Out 〜KYONGKING HONGKONG」に合わせて、
香港が舞台になっているコーナーです。
何故、1997年なのか。答えは、次のページです。
84:匿名ムック本「裏小泉」の、18ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、22ページ目になります。
文字が読みにくいですが、1997年は香港が中国に返還された年です。
このツアーパンフは、1989年に作られているので、8年後を予想して書いてあります。
自由な資本主義から共産主義に変わる事について、対話形式で書いてありますが、
今の中国
85:匿名ムック本「裏小泉」の、19ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、23ページ目になります。
キョンキョンが、今までで一番髪を伸ばしていたのが、このツアーの前に発売された
シングル「Fade Out」のジャケット写真の頃。その後、テレビ出演時には、
このカットのように、髪をバッサリ切りました。ザ・ベストテン出演時には、
このショ
86:匿名ムック本「裏小泉」の、18ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、24ページ目になります。
中国料理の前にいるキョンキョンのカット。(合成ですが)
この香港ロケで香港が気にいったのか、90年の夜ヒットでは、香港中継の回に出演し、
中国料理のフルコース4種類を紹介していました。
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