90年代のキョンキョンA

 
1 匿名(16/09/18(日)07:01:01 ID:QszJ4ldpU) 
>スレ主さん、まだ載せたい記事や画像が沢山あるので、新スレ立てるのを期待しています。
>1週間待っても、新スレが立っていない場合は、私が立てます。


前スレでキョンキョンの画像とコメントをたくさん貼って下さった方。
ありがとうございました。
また、よろしくお願い致します。
90年代のキョンキョンA画像
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2 匿名 (16/09/18(日)23:38:24 ID:87FqjRjtI) 
3 匿名 (16/09/21(水)02:30:53 ID:lruICQ1Rc) 
月刊カドカワの90年10月号の、9ページ目です。
それまで年上のクリエーター達と仕事をしていたので、
才能ある人達と堂々と渡り合えるカッコイイキョンキョンというイメージがありましたが、
本人の中では、甘えがあったとの事です。
24歳になって、同世代のクリエーター達との仕事が増え、手加減しない仕事の仕方や、
プライベートでの付き合いが、今日の小泉今日子を作っていきました。
「芸能界にもどこにも「いなかったね、こういう子」と言われる子になりたい。」
という目標は、「なんてったってアイドル」を歌っている頃、達成したと思ったのでしょう。
「これから先、どうしたらいいんだろうか。」という迷いは、
その後、1作毎に傾向が異なるシングルやアルバムにも現れていました。
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4 匿名 (16/09/21(水)03:02:39 ID:lruICQ1Rc) 
月刊カドカワの90年10月号の、10ページ目です。
後輩の面倒見がいい小泉今日子の性格は、ここに書かれているような、
母親や父親との接し方から、自然に身についていったのかも知れません。
特に、ひとりぼっちで隅にいる人を見かけると、気になって仕方無かったそうです。
本人も端っこにいる性格なので、気が合うのでしょう。
水泳大会で、皆と馴染めないダンプ松本と仲良くなったのも、その一例です。

>> 1
スレ主さん。新スレ立て、ありがとうございます。
暫く、月刊カドカワの文章が多い記事が続きますが、
終わったら、カラー写真の多い雑誌に戻ります。
スレ画の午後の紅茶のCMは、95年に結婚した時、仕事を極端に減らし、
沢山あったCMも次々終わらせた中、残った数少ないCMでした。
このまま引退してしまうのか不安だったので、このCMが流れると、ホッとしました。

参考までに、前スレのアドレスを書いておきます。
http://1990s.harikonotora.net/r/90/all
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5 匿名 (16/09/24(土)17:19:33 ID:OkoNJV92M) 
キョンキョン、化粧品メーカーがついたらお肌の調子が別物、
かなり曲がり角に来てたよね。
6 匿名 (16/09/25(日)03:31:04 ID:XlMfgXwK6) 
月刊カドカワの90年10月号の、11ページ目です。
デビュー当時、疲れすぎて寝て、朝起きたら目から血がバーッと出るとは。
アイドル全盛期の売れっ子アイドルは、本当に大変でした。
デビュー前、アイドルとしての英才教育を1年近く受けていた中に、
ハイヒールに慣れる事がありました。ハイヒールで走れる特技を活かして、
ステージを走り回っていたら、フクラハギの筋肉が見る見る発達して、
キョンキョンの筋肉成長絵日記が書けるほどだったと、パンダのアンアンに書いてありました。
「自分でいる事が仕事。」アイドルの代名詞小泉今日子の名言だと思います。
歌やお芝居に自分のキャラクターを反映させ、より細かいメッセージはラジオ番組や
雑誌のインタビューで話す。これがアイドル全盛期の人気アイドルの仕事の仕方であり、
そのキャラクターが好きなファンが増え、アイドルブームがより盛り上がって行きました。
90年代以降、テレビの歌番組やバラエティー番組がトーク中心になり、
アイドルがテレビで自分の事を喋りまくり、バラドル化していったのが、
アイドル冬の時代に入った一因だと思います。
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7 匿名 (16/09/25(日)03:48:35 ID:XlMfgXwK6) 
月刊カドカワの90年10月号の、12ページ目です。
永瀬正敏とは、自然な形で相棒になれると思って結婚したのでしょう。
結婚当時は、パートナーという言い方をしていました。
しかし結婚生活に入ってみると、相手に自分を合わせようとして無理が生じ、
それが離婚の理由だったそうです。(中井貴一との対談番組で言っていました。)

>> 5
キョンキョンは、お肌が曲がり角に来てても、気にしていませんでした。
化粧品メーカーといえば、「水のルージュ」の時のカネボウに始まり、
長い間資生堂のCMを担当し、今はコーセーを担当。
松田聖子との共演では、富士フィルムの化粧品CMもしていました。
残すはメナードのみでしょうか。こちらは、老後の楽しみに残しているのかも知れません。
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8 匿名 (16/09/29(木)02:14:33 ID:Geytz3Urc) 
月刊カドカワの90年10月号の、13ページ目です。
ここから6ページに渡って、読書体験記と言うタイトルで書評が載っています。
21世紀に入ってから、読売新聞の読書委員を10年間担当していましたが、
小泉今日子の書評が面白いのは、自分の体験と重ね合わせているからだと思います。
それは80年代後半に、キョンキョンが勧める本がベストセラーになった頃から
変わらないスタンスです。書評と言うより、このタイトル通り読書体験記です。
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9 匿名 (16/09/29(木)02:32:12 ID:Geytz3Urc) 
月刊カドカワの90年10月号の、14ページ目です。
赤川次郎は、80年代前半に角川が、薬師丸ひろ子を始めとして、
次々に自社のアイドル主演で映画化していたので、読んでいるアイドルも多かったと思います。
「モモ」は、17〜18歳の一番忙しかった頃のキョンキョンの心の支えになりました。
この時期に自分を見失なわなかったからこそ、80年代後半はアイドルの代名詞となり、
90年代前半は国民的アイドルになったキョンキョンが誕生したと思います。
キョンキョンにとって、宝物のような本だと思います。
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10 匿名 (16/10/03(月)02:36:42 ID:n0KuykEPM) 
月刊カドカワの90年10月号の、15ページ目です。
「チョコレート工場の秘密」は、ジョニー・ディップ主演の「チャーリーとチョコレート工場」
のタイトルで、2005年に2度目の映画化がされ、大ヒットしました。
やはりキョンキョンが勧める本は、万人受けする場合が多いようです。
93年初に、小泉今日子を特集したテレビ番組の中で、近田春夫のインタビューがあり、
「彼女が勧める本が売れるのは、日本中に彼女と似た感覚の女性が沢山いるからだ。」
と言っていました。最近の「反アンチエイジング宣言」に、40代の女性達が共感しているのも、
その表れでしょうか。元々は、30代後半に書いたエッセイ集「小泉今日子の半径100m」
の冒頭で書いている事です。一部引用します。
「アンコールの時にキャミソールとホットパンツで現れたら、会場から一斉に「若〜い!」って
声が...。(中略)でもさ、実際ピチピチの若者に「若〜い!」って褒めないでしょ?
ある程度の年齢にならないと成立しない褒め言葉でしょ?
(中略)痛々しい若さを誇る人より、小奇麗なおばちゃんを目指したい!」
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11 匿名 (16/10/03(月)02:49:45 ID:n0KuykEPM) 
月刊カドカワの90年10月号の、16ページ目です。
ここに書いてある「わたしは秘密を知っている」の内容と、映画「アマデウス」を
似ているという感覚が、小泉今日子らしい感性なのでしょう。
主人公の気持ちに寄り添って本を読んでいる事が、良く分かります。
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12 匿名 (16/10/07(金)02:53:03 ID:pF27Ovx0Y) 
月刊カドカワの90年10月号の、17ページ目です。
外国のホラーやSF小説は、女性アイドルは敬遠しがちだと思いますが、
小泉今日子はちゃんと読んでますね。
「ファイアスターター」や「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は、
私も読んでいますが、映画化とはかなり違う内容でした。
「銀色の恋人」は、この記事で内容を知り、読みました。
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13 匿名 (16/10/07(金)03:09:52 ID:pF27Ovx0Y) 
月刊カドカワの90年10月号の、18ページ目です。
小泉今日子は当時、最先端の音楽アーティストやファッション関係者と仕事をしていたので、
様々な意見が飛び交い、心の整理が難しい時期だったと思います。
そんな小泉今日子が、心の中を整理出来、自分を見失わなずに済んだのは、
本を読んでいるおかげでした。
デビュー当時、高校に通っていない事がコンプレックスにならないようにと、
忙しい時間を縫って本を読み始めた事が、コンプレックス解消だけでなく、
どんな事があっても、考え方がブレない小泉今日子を作って行ったと思います。
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14 匿名 (16/10/11(火)02:50:27 ID:cbkeFR1e2) 
月刊カドカワの90年10月号から、4ページ飛ばして23ページ目を先に載せます。
19〜22ページ目は、しきい値の設定が悪く、文字が読めなくなっているからです。
上岡龍太郎との対談が、9ページに渡って載っています。
鶴瓶上岡パペポTV で、人気が出た印象があります。
2000年の「さんまのまんま」で、芸能界引退を知りました。
「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」に、小泉今日子は2回(93年と95年)出演しました。
90年の対談当時は48歳。今の小泉今日子より2歳若いんですね。ビックリしました。
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15 匿名 (16/10/11(火)03:20:17 ID:cbkeFR1e2) 
月刊カドカワの90年10月号の、24ページ目です。
上岡龍太郎は、理屈に合わない世間の矛盾を突いて、笑いに変えていた人だったので、
東京進出したばかりの頃から、キョンキョンが会いたかった人なのでしょう。
「芸能人って、どっかで自分を客観的に見ているとこありますよね。」
当時、国民的アイドルだったキョンキョンが、その感覚を失わなかったからこそ、
現在まで活躍が続いていると思います。
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16 匿名 (16/10/15(土)04:25:53 ID:1kGWl2HTU) 
月刊カドカワの90年10月号の、25ページ目です。
「顔立ちからすると、昔なら東宝映画のお嬢さん。」
キョンキョンのデビュー時の顔を、「実年齢より年上に見えるほど、整い過ぎている。」
と評した雑誌がありましたが、上岡龍太郎も同じように見えたのでしょう。
キョンキョンは、派手なパフォーマンスをする事で、そのイメージを払拭しました。
ファンにとって「タレントが神様なんです。」という上岡龍太郎の言葉に、
トップアイドルとして長く活躍している小泉今日子が、岡田有希子のファンの後追い自殺の
例を出して、「その通りだと思う。」と答えているのには、説得力があります。
最近のエッセイ集「黄色いマンション 黒い猫」でも、岡田有希子の事を語っています。
同じスター誕生出身で、中学3年で合格、高校2年になる頃デビューと、
似た環境でのスタートだったので、10代の頃自分を育ててくれた大人達との出会いが無ければ、
自分も同じ道を辿っていたかも知れないと感じさせるエッセーでした。
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17 匿名 (16/10/15(土)04:45:25 ID:1kGWl2HTU) 
月刊カドカワの90年10月号の、26ページ目です。
人気アイドルの座を椅子取りゲームに例えて、「空いたところにスッて座る。」
「自分で椅子、持って来ちゃった。」と言う小泉今日子。
YOUやマツコ・デラックスと一緒の旅番組で、「聖子さんと明菜ちゃんがいたから、
その間を縫って私が生まれた。」と話している内容と、通じるものがあります。
80年代に、松田聖子や中森明菜がトップを走り続け、小泉今日子は常に2番手で、
トップに居続けるプレッシャーがない分、力を貯える余裕があったと思います。
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18 匿名 (16/10/19(水)03:26:47 ID:ZT6rU3j86) 
月刊カドカワの90年10月号の、27ページ目です。
90年代に入って、小泉今日子が国民的アイドルとなり、松田聖子や中森明菜を抜いて
トップに踊り出たのは、80年代に力を貯えていただけでなく、
歌・ドラマ・映画・CM等、色々なフィールドでバランス良く活躍していたからでしょう。
自分を表現する手段が沢山あれば、どれかが失敗しても他で補う事が出来ます。
小泉今日子と同じ手法で、中山美穂が後に続いた感じです。
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19 匿名 (16/10/19(水)03:52:31 ID:ZT6rU3j86) 
月刊カドカワの90年10月号の、28ページ目です。
小泉今日子は、嫌いになるほど興味が持てないので、嫌いな人はいないそうです。
テレビ番組内で、明石家さんまに好きと迫られた時、困った仕草をしていたのも、
嫌いな訳ではなく、単に興味が無いのでしょう。
自分も好かれたりする仕事してるから、「好き」って言われるのが重い気がするため、
相手の立場に立って、本当に好きな人には何も言わないそうです。
永瀬正敏との結婚も、アンアンでの初対面での対談がきっかけであり、
対談前から好きだったら、話せなかったのでしょう。
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20 匿名 (16/10/23(日)03:06:55 ID:VjInvvJnc) 
月刊カドカワの90年10月号の、29ページ目です。
クリエイティブな事をするのは26歳の時と言う上岡龍太郎。
小泉今日子は、その1年前の25歳の時に作詞の才能が開花しました。
「若い内にすごい才能をドーンと出してしまうと、後が続かへん。」(上岡)
シンガーソングライターには、そういう人が多いと思います。
小泉今日子も、結婚した29歳以降は、作詞活動に行き詰まりを感じていました。
しかしエッセイでもその才能を開花させ、女優業と並行して、行き詰まる事無く続けています。
仕事と私生活のON/OFFを、見事に切り替えられる才能が、
斬新なエッセイを続けられる秘訣のひとつだと思います。
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21 匿名 (16/10/23(日)03:40:11 ID:VjInvvJnc) 
月刊カドカワの90年10月号の、30ページ目です。
「「らしく」を求められてる時代で、らしくなくて褒められるのは、芸人だけなんです。」
理屈好きな上岡龍太郎の面目躍如と言うべき発言です。
天狗になる事を肯定する上岡龍太郎の言葉には、奥深いものがあります。
キョンキョンがステージで、ファンとの仲間感を深めるために、敢えてキツイ言葉を使うのが、
ファンサービスである事を見抜いています。ファンから見たスターへの憧れや、
スターから見たファンサービスについて、考えさせられる発言です。
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22 匿名 (16/10/27(木)03:07:09 ID:wgZvvy9uc) 
月刊カドカワの90年10月号の、31ページ目です。
将来について、手で緩やかな下向きのカーブを描いて、それでもいいと肯定しています。
小泉今日子は、デビュー後10年間は歌中心、20周年までの10年間はドラマ中心、
30周年までの10年間は映画中心と、10年区切りで中心となる仕事をシフトして行きました。
映画中心の頃が、一番人気が低迷していたと思います。
そして30周年以降は、またドラマ中心に戻りつつあり、再び人気が上昇しつつあります。
「20年とか30年やったら、まだまだいろんなことがあるだろうから。」
緩やかな下向きのカーブが終わって、まだまだいろんなことがありそうで、楽しみです。
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23 匿名 (16/10/27(木)04:21:32 ID:wgZvvy9uc) 
月刊カドカワの90年10月号から、飛ばしていた19〜22ページ目に戻り、19ページ目です。
「小泉今日子から気になる5人への公開質問状」のコーナーです。
質問は次のページに載っています。
このページは、2年後輩のアイドル・菊池桃子への質問です。
第一次キョンキョンブームと同じ80年代中盤、トップアイドルとして大活躍しました。
松田聖子は一時引退、中森明菜は別格の存在だったので、この時期はアイドル界を、
キョンキョンと菊池桃子が牽引していた感じです。それだけに過密スケジュールだったので、
Bの質問の答えで、居眠りするのは当然です。しっかり反省して、20年後再び大学へ行き、
修士課程を卒業、大学の客員教授までやっています。有言実行タイプで、
小泉今日子が感想で、「強い人だと感じました。」と言っている通りです。
(コイズミ・イン・モーションにゲスト出演した時も、同じ感想を言っていました。)
デビュー当時、キョンキョンに教えてもらった事を、忘れていない律儀な人です。
この頃から、既にキョンキョンが後輩の面倒見がいい事も、分かります。
80年代末からドラマ中心に活躍していたので、共演する姿を見たかったです。
最近、女優業を再開したので、今からでも遅くはありません。
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24 匿名 (16/10/27(木)05:09:24 ID:wgZvvy9uc) 
月刊カドカワの90年10月号の、20ページ目です。
三波春夫とは、88年の紅白(「快盗ルビィ」を歌った、アイドル時代最後の出演の時。)に、
手を繋いで入場行進した時からの知り合いです。
90年の夜ヒット(「La La La…」を歌っていた頃)でも共演しましたが、
小泉今日子が歌っている時、他の出演者達と後ろに座っていた三波春夫の、
油断して素に戻っている顔がアップで撮られました。
写っている事に気が付いた三波春夫が、とっさに笑顔を作ろうとしますが、上手く作れませんでした。
その事を、コイズミ・イン・モーションで振り返り、「三波春夫さんに悪い事をしてしまったなあ。」
と言っています。とっさに笑顔を作る事を、デビュー前から練習させられていた
キョンキョンだからこそ、三波春夫さんの心境が、痛いほど分かるのでしょう。
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25 匿名 (16/10/31(月)03:10:41 ID:t39JfOBj2) 
月刊カドカワの90年10月号の、21ページ目です。
井崎充則は、小泉今日子がずっと気になる存在と言っていた少年で、
2年後のスペシャルドラマ「ヒマラヤの赤い自転車」で共演しています。
大島弓子は、小泉今日子が一番好きな漫画家です。
死後の世界を描いている作風と、猫好きなのが、好きな理由でしょう。
2008年、念願叶って代表作「グーグーだって猫である」の映画化作品で、
大島弓子をモデルにした主人公を演じました。
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26 匿名 (16/10/31(月)03:32:43 ID:t39JfOBj2) 
月刊カドカワの90年10月号の、22ページ目です。
加藤治子は、小泉今日子が「恩師・芸能界の父親」と慕っていた、演出家・久世光彦のドラマ
「花嫁人形は眠らない」「メロディ」「センセイの鞄」等で、共演しています。
いくつになっても可愛らしさを失わない存在として、憧れていたのでしょう。
左下に、質問状に対するキョンキョン自身の答えも書いてあります。
Bで面倒な事が終わってそうな35歳と答えていますが、最近のインタビューでは、
40代になってから楽になったと答えています。
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27 匿名 (16/11/04(金)03:33:50 ID:/7vCZ16WM) 
月刊カドカワの90年10月号から、22の続きの32ページ目です。
この間に4ページ分の白黒グラビアがありましたが、紛失しました。
お気に入りグッズ総点検が、3ページに渡って載っています。
上の写真は、3〜4歳の頃の母親との2ショットです。
お母さんっぽくない人で、ファッションセンスが良いとの事ですが、
仕事とプライベートをキチンと分ける小泉今日子は、父親や母親の写真をあまり公開していません。
私が知っている唯一の母親の写真です。
当時は1970年頃、ミニスカートが流行っていたので、しっかり取り入れている事が分かります。
キョンキョンのファッションセンスの良さは、母親からの遺伝なのでしょう。
エッセイ集「黄色いマンション 黒い猫」に、お母さんっぽくない姿が、綴られています。
子供の頃のキョンキョンを連れて、毎日必ず1度は喫茶店に行き、「子供にはコーヒーは毒だから」
と言って、ジュースを飲ませながら、自分はマイカップでコーヒー&シガレットを楽しむ母親。
インベーダーゲームが上手く、名古屋撃ちがこんなに上手い専業主婦はそんなにいないだろうと、
誇らしげに思うキョンキョン。家にいる時よりイイ女度が増して、ミステリアスな雰囲気を醸し出す
母親。ただのお母さんじゃない、大事な息抜きの時間を過ごす母親に、キョンキョンも付き合い、
普段よりもシャイで大人しい育ちの良さそうな女の子を演じていたそうです。
そんな経験が、現在の女優業に役立っているかも知れないと綴られています。
コーヒー→毒薬→ドクロのマークと連想したキョンキョンは、家にいるスッピンの母親に
眉毛がないので、般若のお面を思い出して、サイフォンでコーヒーを入れる母親が、
森の奥の小屋で煮え立った毒薬を作る魔女に見え、怖くてたまらなかったそうです。
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28 匿名 (16/11/04(金)04:38:36 ID:/7vCZ16WM) 
月刊カドカワの90年10月号の、33ページ目です。
こちらは、父親の写真が載っています。私が知っている唯一の父親の写真です。
キョンキョンの目鼻立ちのハッキリした、整った正統派アイドルフェイスは、
彫りの深い父親からの遺伝かも知れません。真剣な表情をする時は、
可愛いというより、凛々しささえ感じさせます。
大人になってから、アルコール好きになったのも、父親からの遺伝でしょう。
小泉今日子が27歳の時、酒が原因で父親が亡くなりましたが、
あれだけ好きな酒を節制する事は無いと、家族に言っていたそうです。
中学の時に、父親との二人暮らしを経験していたキョンキョンだから、
父親の気持ちが理解出来たのでしょう。「パンダのアンアン」で、父親との暮らしが綴られています。
一台のチャリンコを共有し、二人乗りしていた親娘を、チャリンコ隊と言っていました。
家に次女が戻って原付の免許を取り、当時一番カッコ良かったタクトを買いました。
「私は、姉が外出中に父親がこっそり(無免許で)タクトに乗っている所を見かけた。
 父は裏切り者だった。チャリンコ隊の風上にもおけない奴だ。それなら私だって!(中略)
 (タクトに乗ったキョンキョンは)桑畑に思い切り突っ込んでいた。そして、父と私は
 チャリンコだけじゃなく、この秘密も共有して生きていかなくてはならない運命を感じていた。」
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29 匿名 (16/11/08(火)02:59:51 ID:VeNjFLliY) 
月刊カドカワの90年10月号の、34ページ目です。
下は精神科医が書いた文章ですが、キョンキョンの歌やCM等、マスコミから発せられる姿から、
小泉今日子の心象風景を浮かべる事は出来ない。と言う事で、
仕事をしているキョンキョンを、客観的に見ている小泉今日子だから、当然と言えます。
そして、小泉今日子のお気に入りグッズを見ても、透明なものや直視してほしくないものが並んでいて、
心象風景を読み取る事を嫌っていると、分析しています。
80年代にホンネを語るアイドルとして人気を得ていたキョンキョンですが、実は実像の小泉今日子とは
かけ離れていて、小泉今日子の中で理想と考えているアイドル像を演じていました。
しかし90年代になってから、作詞活動やエッセイ、ドラマの役柄に至るまで、
実像の小泉今日子が、色濃く反映されるようになってきました。
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30 匿名 (16/11/08(火)03:08:02 ID:VeNjFLliY) 
月刊カドカワの90年10月号の、35ページ目です。
小泉今日子自身が振り返る、デビュー時から各年毎の仕事に対する取り組み方の変化と、
アルバム解説が、9ページに渡って載っています。
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31 匿名 (16/11/16(水)01:49:25 ID:Fm/ISvZfQ) 
月刊カドカワの90年10月号の、36ページ目です。
1stアルバム「マイ・ファンタジー」では、小学生みたいな歌詞に、
大人っておかしいな、と思っていたそうです。
初めての海外旅行で、おしゃれして行ったら、ジーパンとTシャツでいいと言われました。
小学生でも大人でもない、16歳のキョンキョンの乙女心を、
まるで理解していないビクターのスタッフ(大人たち)でした。
2ndアルバム「詩色の季節」に書いてある、「私、暗かったらしいんですよ。」
今でも私生活では暗いと言われる小泉今日子の実像が出ていたのでしょう。
シングルもアルバムも、暗い実像をそのまま曲にしていたのが、1年目でした。
私は80年代のアルバムを、90年代に入ってすぐに揃えましたが、
この記事を読んでいたので、1stと2ndは、90年代後半になってから買いました。
予想したほど暗い曲が多い訳ではなく、明るい曲と暗い曲が半分ずつという感じでした。
明るい曲でも、2年目以降の弾けた感じはありませんでしたが。
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32 匿名 (16/11/16(水)03:26:11 ID:Fm/ISvZfQ) 
月刊カドカワの90年10月号の、37ページ目です。
「あのコは暗くて、絶対売れないよ。」と、ビクターのスタッフにまで言われたキョンキョン。
普通のコは、ガッカリして落ち込むか、見返してやろうと頑張るのですが、
「どうせ売れないんだから、やめるんだから」その前にちょっと暴れてやめよう、そうしないと
厚木に帰っても友達に会わせる顔が無いから、というのがユニークなキョンキョンらしいところです。
中途半端な不良だった厚木の中学時代が、良い方に働きました。
ドラマでは恩師の久世光彦と出会い、歌では田村充義ディレクターと出会いました。
1年目のディレクターは、スタ誕でプラカードを挙げた飯田久彦であり、旧態依然としたビクターの
上層部の反対を押し切って、ピンクレディーを世に出したディレクターとして有名です。
その飯田久彦が、雑誌「MEKURU」のインタビューで、「「ひとり街角」「春風に誘惑」あたりで、
正統派アイドルという扱われ方は、本人・スタッフも含め、方向性が違うんじゃないかな?
という疑問を持ち始めていた。」と語っています。
そして若い田村ディレクターに変わってから、キョンキョンの大躍進がスタートしました。
田村ディレクターとは、25年に渡る長い付き合いになりました。
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33 匿名 (16/11/20(日)02:19:56 ID:mU.qwhPkc) 
月刊カドカワの90年10月号の、38ページ目です。
「一曲だけ歌いたくなかった曲があってね。イヤなときって私、ホントにイヤがるの。」
どの曲でしょう。人気があると書いているので、ラストの「フラワー」かも知れません。
シングルでは、85年最初の曲に「魔女」が用意され、キョンキョン自身も気に入っていましたが、
事務所の社長が強引に「常夏娘」に変えたので、文句を言っていたそうです。
(コイズミ・イン・モーションで、告白。)
「スターダスト・メモリー」37万枚→「常夏娘」27万枚→「魔女」17万枚と、
売上が下降線を辿っていた時期なので、どちらが先でも結果が変わらなかったかも知れません。
田村ディレクターの、雑誌「MEKURU」のインタビューでは、「アイドルの制作は初めてだったので、
やり方が分からず、結果が出なかったらどうせクビになるんだから、だったら自分が面白いと思う
ことをやろう。82年組アイドルの中で、当時はまだ5番手、6番手でしたから、
事務所の方も大目に見てくれたんだと思います。」と語っています。
32の、デビュー2年目のキョンキョンと同じような心境であり、意気投合したのでしょう。
「コピー合戦」についても、「競争相手がとにかくたくさんいたので、まずはイメージ戦略を
しなくてはいけないと思ったんです。キャッチコピーのようなタイトルのシングルを作り重ねる
ことで、彼女のイメージが固定化されるんじゃないかと。」と田村ディレクターは語っています。
90年代のキョンキョンA画像33
34 匿名 (16/11/20(日)03:30:42 ID:mU.qwhPkc) 
月刊カドカワの90年10月号の、39ページ目です。
キョンキョンが理想とした女の子像は、「Flapper」で完成しました。
その後は、「テレビとか、自分の思い通りにいかないと、すごい反抗して、過激なパフォーマンスを
する」過激アイドル・コイズミが誕生しました。それまでの過激ぶりはあくまでも、
田村ディレクター等のスタッフが仕掛けていたものでしょう。
(KYON2名義のシングル「ハートブレイカー」をテレビで歌う時、別人格になる等。
後に、チェッカーズやアルフィーが真似をしました。)
その後の作詞活動のきっかけになる初作詞の、「書く人いないから書いて」というのも
田村ディレクターの戦略です。「昨日のドラマが面白かったっていう話を、
「これがこうなって」と、上手に話してくれるので、これは詞が書けるなあと思いました。
作曲は、僕がずっと育てていた井上ヨシマサで、学年も小泉さんのひとつ年下。
大先生の曲だと小泉さんもやりづらいと思ったんですよね。」と、雑誌「MEKURU」で語っています。
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35 匿名 (16/11/24(木)03:19:30 ID:S5kPlADgs) 
月刊カドカワの90年10月号の、40ページ目です。
「なんてったってアイドル」のアナザー・バージョンは、1番がデビューするまでのバクロ歌ですが、
2番は、アイドル・キョンキョンのポリシーを歌っているような歌詞です。
ドキュメントビデオは、33に載っている「kyon2 PANIC 85」のコンサート映像に、
アルバム「今日子の清く楽しく美しく」から曲を、ドキュメント映像に付けて加えた内容です。
キョンキョンが、友達2人と浅草で遊んでいるシーンが楽しいです。
ここには書いていませんが、雑誌「MEKURU」の田村ディレクターのインタビューで、
「映画「子猫物語」のナレーションをやった時は、
「猫だな」と思って「夜明けのMEW」を作った。」と語っています。
プロデュースを指示した理由は、「80年代のアイドルブームが一段落ついて、レベッカが出てきた
85年から世の中の関心がロックになるんです。これからは自分から発信していかなきゃいけない
時代だよ、という事で「アルバムの半分、プロデュースしてみない?」と。」
と語っています。
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36 匿名 (16/11/24(木)04:22:03 ID:S5kPlADgs) 
月刊カドカワの90年10月号の、41ページ目です。
「Ballad Classics」は、アレンジを変えたのは3曲だけですが、
その中の「スターダストメモリー」のスローバージョンは新鮮でした。
原曲がアップテンポで元気な感じだったのに、スローバラードに変えてこれほど良くなるとは。
まるで元々スローバラードの曲のように感じました。本人が言っているように、
キョンキョンの声がスローバラードに合っている事も、良くなった一因でしょう。
テレビでも歌うほど出来が良かったので、その後アレンジを変える時は、
スローバラードに変える事が多くなりました。
そう言いながらも、私の一番好きなアルバムは、前にも書いたように「BEAT POP」です。
キョンキョンのパブリックイメージにピッタリの、元気で派手なロック満載のアルバムです。
そのコンサートビデオは、何度繰り返し見た事か。歌も、テレビで見るより数段上手いです。
ノリノリの曲の連続なので、自分で思っても見ない力(歌唱力)が発揮されるのでしょう。
「ナツメロ」も、楽しそうに歌うキョンキョンの姿が、想像出来るアルバムです。
「BEAT POP」にも参加した野村義男のアレンジが冴えるカバーアルバムで、「BEAT POP」の姉妹篇
のように聞こえます。キョンキョン自身が楽しんで選曲し、レコーディングした事が、
歌声から伝わってくるので、1年後にシングルカットされた「学園天国」は大ヒットし、
第二次キョンキョンブームが到来します。
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37 匿名 (16/11/28(月)02:33:55 ID:pBvpIlxj6) 
月刊カドカワの90年10月号の、42ページ目です。
歌謡曲とハウスのドッキングである「KOIZUMI IN THE HOUSE」は、
小泉今日子のアルバムの中で、最も歌が上手いと感じます。
歌謡曲声と言われている小泉今日子の声質と合っているメロディーラインや、
ここに書いてあるように「いちばん歌入れに時間がかかった」丁寧なレコーディング、
そして最もコンサート活動が充実し(この年のコンサートはセルフプロデュース)、
最も歌を歌い込んでいる時期で、歌唱力がある頃だからでしょう。
歌謡曲声(奥村チヨの「恋の奴隷」のような感じ)は、この年の主演ドラマ
「明日はアタシの風が吹く」で、毎回最後に歌う「ラブユー東京」でも、聞く事が出来ます。
岩崎宏美・良美姉妹や河合奈保子・中森明菜・荻野目洋子のように、声が伸びる人は歌が上手いと
思いますが、本田美奈子・工藤静香あたりから始まる、声量がある=歌唱力がある、
という考え方に反対の私は、声量は普通でも声に艶がある小泉今日子の声が大好きで、
特にこの頃は、歌が上手いなあと感じました。
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38 匿名 (16/11/28(月)02:56:49 ID:pBvpIlxj6) 
月刊カドカワの90年10月号の、43ページ目(最後)です。
前作「KOIZUMI IN THE HOUSE」がハウスサウンドをメジャーにしたアルバムで、
藤原ヒロシと屋敷豪太のサウンドプロデュースによる「No.17」は、
重低音が響き渡るハウスサウンド全開のアルバムになっているかと思えば、さにあらず。
ハウスサウンドは3曲のみで、他はスローな曲が多いアルバムになっています。
大方の予想を裏切る事が大好きな、キョンキョンの性格が全面に出た内容です。
歌い方にも工夫の跡が見られ、本当の意味で音楽が好きになった時期である事が分かります。
そして、カバーの2曲以外を全曲作詞した自信が、翌年の作詞活動で結実します。
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39 匿名 (16/12/01(木)03:55:35 ID:ZY5lrwrsw) 
月刊カドカワの90年10月号から、モノクログラビアの1ページ目です。
91年分のスキャンをする時に、クリアファイルの別の場所にあったので、早速スキャンしました。
24歳になって、ミッキーマウスのトレーナーが似合うアイドルは、当時他にいませんでした。
24歳になる頃には、みんなアイドル卒業とか言っていた時代です。
野村義男が小泉今日子のシングルやアルバムに積極的に参加していたのは、
「他のアイドルと違い、キョンキョンがアイドル卒業宣言せず、
 アイドルらしさを失っていないから。」と、コイズミ・イン・モーションで言っていました。
「Cutey Beauty Beat Pop(アルバム「BEAT POP」1曲目)のように、
 また1行づつ別々に作詞しよう。」とモーションをかけていましたが、実現しませんでした。
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40 匿名 (16/12/01(木)03:59:01 ID:ZY5lrwrsw) 
月刊カドカワの90年10月号から、モノクログラビアの4ページ目です。
2〜3ページ目は2ページ連結で、間の欠落が多いので、上手く繋がったら次回載せます。
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41 匿名 (16/12/06(火)02:31:31 ID:8pA2AFBRU) 
月刊カドカワの90年10月号から、モノクログラビアの2〜3ページ目です。
欠落部がスカートの部分だったので、何とか繋がりました。
80年代中盤に雑誌「活人」で見せた、有名な全身チョコレート色に塗ったカットと、
似ているような感じのカットです。
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42 匿名 (16/12/06(火)03:06:15 ID:8pA2AFBRU) 
ぴあ(違うかもしれない)の91年7月頃の号に、13ページの特集が載っています。
その1ページ目です。91年のアルバム「afropia」は、「Today's Girl」以来6年半ぶりに、
オリコン1位(2度目)になり大ヒットしました。
もちろん、ミリオンセラーとなった「あなたに会えてよかった」が入っているからです。
他にも、シングルカット出来るようなキャッチーな曲が、沢山入っています。
最初は秋にリリースする予定でしたが、夏っぽい曲が多いので、急遽7月26日発売になりました。
(コイズミ・イン・モーションで言っていました。)
「あなたに会えてよかった」が、まだシングルチャート上位を賑わせていた頃なので、
秋にアルバムをリリースしていたら、もっと売れていたでしょう。
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43 匿名 (16/12/10(土)03:39:39 ID:vlOJfU2XA) 
ぴあ?の91年7月頃の号の、2ページ目です。
アルバム「afropia」は、色々なタイプの曲があっても、纏まりがあります。
それは、小泉今日子の声質と、12曲中11曲を自分で作詞しているからでしょう。
「安らげる声」と言われて、「女の子にはホッとする声、男の子にはエッチな声と言われる。」
と答えています。中森明菜や、後の飯島直子は、男性に「安らげる声・癒される声」と
言われました。盟友・中森明菜や、後に仲良くなる飯島直子とは、同じ「安らげる声」でも
声質が違い、インタビュアーよりも、自分の声をしっかり分析出来ている事が分かります。
作詞に関しては、「前は抽象的にしてしまったり、わかりにくく書いたりしてたけど、
今回は直球っぽくなった。」と言っています。その違いは、前作「No.17」と比べれば明らかです。
作詞が上手くなったのは、KANの「愛は勝つ」が大ヒットして、いままで恥ずかしくて
書けなかった、直球っぽい詞を書いてもいいんだと思って、「あなたに会えてよかった」を
書いたのがきっかけです。(コイズミ・イン・モーションで言っていました。)
先に出来た曲を聞いて、風景が思い浮かび、キーワードが決まれば、
後はスラスラ書ける。91〜94年にかけての充実した作詞活動は、皆このパターンでした。
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44 匿名 (16/12/10(土)04:09:14 ID:vlOJfU2XA) 
ぴあ?の91年7月頃の号の、3ページ目です。
「あなたに会えてよかった」で、レコード大賞作詞賞を取るほど、作詞が上手くなると、
アーティストの方へ行くのが普通の流れですが、「人の歌を歌うのも好きだから」
そっち方面へは行きませんでした。アルバム「afropia」のタイトルは、
ただの「ユートピア」じゃつまらないし、OTOのデモテープに書いてあった「afropia」という
響きがカワイイから決めた。と、コイズミ・イン・モーションで言っていました。
キョンキョンは、「カワイイ」と言うキーワードを良く使いますが、それは一般的な意味での
「可愛い」ではなく、もっと奥深い意味があります。「afropia」のタイトルでも、
正月にプライベートなアフリカ体験をして、ここに書いてあるような境地に達したから、
タイトルにしました。ナウシカに憧れている、というのは、80年代後半〜90年代前半の
キョンキョンの仕事の活動内容や言動から、なるほどピッタリだと思いました。
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45 匿名 (16/12/14(水)03:37:15 ID:JXZLXYpWA) 
ぴあ?の91年7月頃の号の、4ページ目です。
アルバム「afropia」の全12曲について、どのような気持ちで作詞したか、
小泉今日子自身が語っています。(1曲目のみ、作詞は小泉今日子でありません。)
「あなたに会えてよかった」は、先行シングルではなく、シングル用に作られました。
「確実にヒット狙いで作った、田村ディレクターの自信作」と、コイズミ・イン・モーションで
言っていました。ドラマの主題歌は、台本があるので作詞しやすいのでしょう。
女優業を作詞に活かせるので、この「パパとなっちゃん」の主題歌だけでなく、
93年の「愛するということ」の主題歌「優しい雨」、94年の「スウィートホーム」
(出演はしていません)の主題歌「My Sweet Home」と名曲揃いです。
小泉今日子の歴代シングル売り上げでも、この3曲がベスト3を占めています。
私は「あなたに会えてよかった」の後、8月末に「あなたがいた季節」を、11月末に
「プロセス」をシングルカットすれば良かったのに、と「afropia」を聞いて思いました。
歌詞のストーリーとしても上手く繋がる3部作になるし、キャッチーなメロディーが、
シングルとしても行けると思ったからです。(ファンの勝手な思い込みですが。)
特に「あなたがいた季節」は、後に「優しい雨」を作曲した鈴木祥子の作曲で、
声の変わり方が、メロディーラインにピッタリ合っています。
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46 匿名 (16/12/14(水)04:08:40 ID:JXZLXYpWA) 
ぴあ?の91年7月頃の号の、5ページ目です。
ファンの勝手な思い込みの続きとして、92年の3月には、「君に届くかな」を
シングルカットして欲しかったです。この曲もキャッチーなメロディーラインであり、
キョンキョンがいつもどんな気持ちで仕事をしているか、それが君(ファン)に届いているかを
歌っている歌詞なので、デビュー10周年記念曲になれば最高だなあと思いました。
明るくて、みんなで歌える曲なので、10周年記念に相応しいと思ったのですが、
キョンキョン自身は、10周年とかいう区切りをあまり気にしないので、実現しなくて当然です。
蛇足ですが、92年6月発売のシングル「自分を見つめて/1992年、夏」は、
キリンビールのCMソングになっていた「1992年、夏」の方を、メインにして欲しかったです。
バルセロナ・オリンピックに合わせたCMソングであり、アスリート達への応援歌でした。
小泉今日子は、題材が決まっている場合、本当に良い歌詞を書きます。
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47 匿名 (16/12/18(日)02:34:34 ID:hvdGxvKZM) 
ぴあ?の91年7月頃の号の、6〜7ページ目です。
キッスのポーズの顔のアップです。
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48 匿名 (16/12/18(日)03:22:47 ID:hvdGxvKZM) 
ぴあ?の91年7月頃の号の、8ページ目です。
アルバム「afropia」の作曲・編曲者達の、小泉今日子からの紹介と、
小泉今日子へのメッセージが載っています。
EBBYちゃんは、90年代前半の小泉今日子のアルバムへの参加率が最も高い人です。
安らげるギターの音色が、小泉今日子は好きだったのでしょう。
「Ballad Classics II」に収録されている「Flower」のアレンジや、「TRAVEL ROCK」に
収録されている「おやすみ」(スーパーマイルドシャンプーのCMソング)が、私は好きです。
小林武史は、当時サザンのアレンジで有名でした。後にミスチルをプロデュースしています。
「あなたに会えてよかった」と「My Sweet Home」を作曲・編曲しているので、
律儀な小泉今日子は、今でも小林武史が開催するイベントに参加しています。
アルバム「afropia」は、藤井尚之作曲の「プロセス」と「風になりたい」、
OTO作曲・編曲の「君に届くかな」とタイトル曲「afropia」で、名盤になったと思います。
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49 匿名 (16/12/18(日)04:02:33 ID:hvdGxvKZM) 
ぴあ?の91年7月頃の号の、9ページ目です。8ページからの続きです。
45でも書いた鈴木祥子は、コーラスとして小泉今日子のツアーに参加していたので、
声の変わり方を、上手く曲に取り入れたのでしょう。
87年のツアーの時に、「私だって、女の子っぽい優しい歌だって歌えるんだよ。」
とキョンキョンが発言した事がきっかけで、バラードの名曲「あなたがいた季節」や、
大ヒットしたシングル「優しい雨」が誕生しました。
荻野目洋子のラジオ番組に、小泉今日子がゲストで出演した時、「あなたがいた季節」を、
「転んでも只では起きない今日子さんにピッタリな曲」と荻野目洋子が紹介し、
なるほどと思いました。
ちなみにドリカムの吉田美和も、キョンキョンのツアーにコーラスとして参加していたそうです。
2ページ目から、上下にディスコグラフィーが載っていて、
当時はこれを参考に過去のアルバムやビデオを買っていました。
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50 匿名 (16/12/22(木)03:22:09 ID:wTluFOAUI) 
ぴあ?の91年7月頃の号の、10ページ目です。
キョンキョンが産まれた年から、デビューする直前までに見ていた、テレビや歌のカタログが、
本人の解説付きで、3ページに渡って載っています。
ビートルズが来日した年に、キョンキョンが産まれたんですね。私も当時は、知りません。
ブルーシャトウの替え歌は、私も同じように歌っていました。
1967年の曲なので、キョンキョンはまだ1歳。こういう古い歌を知っているので、
後にカラオケで昔の曲を歌っている時に、「キョンキョン、年を誤魔化してない?」と、
オジさん達に言われていたそうです。ピンキラの30分番組は、知りませんでした。
「キイハンター」「アイフル大作戦」は、私も見ていました。
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51 匿名 (16/12/22(木)04:12:25 ID:wTluFOAUI) 
ぴあ?の91年7月頃の号の、11ページ目です。
「赤い靴」が大好きなのは、やはり女の子だなと思います。私は知りませんでした。
「時間ですよ」のような古いドラマを見ているのは、「子供はもう寝る時間だよ。」と
言われながらも、こっそり見ていたからだそうです。
「仮面ライダー」は、いかにも真ん中の姉が好きそうです。お菓子の処理をしなければ、
ライダーキックをお見舞するぞ、と脅されていたのでしょうか。
「猿の軍団」は私も好きで見ていました。周りの連中は、裏番組の「宇宙戦艦ヤマト」を
見ていましたが。ずうとるびは、1番初めに買ったレコードだそうです。
新井君のファンだと言っていました。「がきデカ」に出てくる「八丈島のキョン」が、
キョンキョンのニックネームの由来だと、本人は推測しています。(パンダのアンアンより)
NHK少年ドラマシリーズでは、私は「タイムトラベラー」が1番好きでした。
後に「時をかける少女」として、何度も映画・ドラマになっていますが、
これを超える作品はありません。子供にとってのアイドルは、やはり天地真理から始まります。
その前は、子供に受けるアイドル歌手がいませんでした。
憧れの笠智衆と共演した「花嫁人形は眠らない」では、笠智衆とキョンキョンの二人の会話に、
味がありました。石立鉄男と共演した「少女に何が起こったか」では、
石立鉄男はキョンキョンをいじめる役でしたが、素顔は優しかったそうです。
ピンクレディーは、年表の位置が間違ってますね。中森明菜が、好きだったアイドルを聞かれて、
山口百恵と答えると、キョンキョンは必ずピンクレディーと答えていました。
夜ヒットでは、中森明菜とキョンキョンが、「SOS」を歌っていました。
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52 匿名 (16/12/26(月)03:21:04 ID:uDAiaY2c6) 
ぴあ?の91年7月頃の号の、12ページ目です。
「サザンオールスターズ」厚木と湘南は近いので、夏には行っていました。
90年公開の映画「稲村ジェーン」では、桑田佳祐に誘われ、事務所に内緒で出演し、
後で社長に怒られたそうです。(コイズミ・イン・モーションより)
「犬神家の一族」水の中から足を出すシーンを、海で真似ていました。
小学生の頃からキョンキョンは、人を驚かすのが好きだったようです。
「野生の証明」ヒロイン募集で、お母さんに「バカなこと言ってるんじゃありません。」
と言われた話は、今年正月のNHKの番組で、薬師丸ひろ子本人との対談で打ち明けていました。
「3年B組金八先生」は、キョンキョンが中学生の時に放送されていて、
中途半端な不良だったので、ハマったのでしょう。
その中途半端な不良の頃は、学校を休むサボリ魔でした。(パンダのアンアンより)
「笑ってる場合ですよ」の木曜日は、昼に家に帰って、好きだったビートたけしを見ていました。
「THE MANZAI」松田聖子のネタをやる春やすこ・けいこを面白がっていた素人の頃のキョンキョン。
デビュー後、松田聖子本人に声をかけられ、緊張してトンチンカンな受け答えをしてしまうとは、
この頃は思ってもみなかったのでしょう。
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53 匿名 (16/12/26(月)03:34:31 ID:uDAiaY2c6) 
ぴあ?の91年7月頃の号の、13ページ目(最後)です。
PART2をお楽しみに!と書いていますが、PART2は無かったはずです。
小泉今日子得意のジョークだったのでしょう。
毎年行っていたコンサートツアーですが、91年のコンサートツアーの後、
一年休んでみようという事になって、そのまま自然消滅しました。
シングルやアルバムはリリースし続け、ヒット曲も続いていたので、
後にパンダのアンアンで告白した、顎関節症が原因ではないかと推測します。
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54 匿名 (16/12/30(金)03:13:44 ID:CtahUt0RA) 
出典不明(忘れた)の雑誌の91年7月号頃の、1ページ目です。
ドラマ「パパとなっちゃん」で、思いっきりショートのなっちゃんカットにしましたが、
それから少し髪を伸ばした頃です。
ショートにしたのは、90年に髪を編み込んでいたため、髪質が悪くなったので、
思い切って切ったからです。
「パパとなっちゃん」は、91年1〜3月に撮影し、4〜6月に放送したので、
主題歌「あなたに会えてよかった」をテレビで歌っていた5月末〜6月は、
既に髪が伸び始めていました。

根津甚八さんが今日亡くなった事を、ニュースで知りました。
52の「黄金の日々」にも書いてあるように、キョンキョンは根津甚八さんのファンでした。
中学時代は、下敷きに「甚八命」と書いていたほどでした。
親友のYOUもファンだったとの事なので、二人で追悼しているかも知れません。
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55 匿名 (16/12/30(金)04:09:29 ID:CtahUt0RA) 
出典不明の雑誌の91年7月号頃の、2ページ目です。
ドラマ「パパとなっちゃん」について、語っているページです。
第一話こそ、パパ役の田村正和のキザな感じが鼻に付きましたが、
第二話以降は、のめり込むように見ていました。
今でも、小泉今日子のドラマの代表作だと思っています。もちろん、DVDも持っています。
小泉今日子自身も、2年後のインタビューでは、いままでの代表作だと語っています。
主題歌「あなたに会えてよかった」で、作詞のコツをつかみ、その後の充実した作詞活動の
きっかけになったのも、「パパとなっちゃん」の台本が素晴らしく、
なおかつ普遍的な内容だったからでしょう。大ヒットしてミリオンセラーになったのは、
普遍的な内容を、小泉今日子が更に万人に共感出来る歌詞にしたからです。
作詞する段階で、全10話の台本が出来上がっていた事も、幸いしました。
第一話で視聴者を掴むために、全力投球する昨今のドラマ作りとは雲泥の差があります。
放送開始前に、全話撮り終える撮影スケジュールは、ドラマ黄金時代の90年代においても、
贅沢な撮影の仕方でしたが、その甲斐あって珠玉のドラマが出来上がりました。
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56 匿名 (17/01/03(火)03:13:19 ID:sXHqT8zJk) 
出典不明の雑誌の91年7月号頃の、3ページ目です。
アフリカへプライベートで旅行に行って、「寝たい時に寝て、食べたい時に食べて...」という
自然に任せた生き方に共感した小泉今日子が、自然に任せて作ったアルバムが「afropia」でした。
質問の2番目の答えにある「チベットへ行きたい」は、
翌92年のスペシャルドラマ「ヒマラヤの赤い自転車」のネパールロケで、
チベットの近くまで行きました。
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57 匿名 (17/01/03(火)04:05:39 ID:sXHqT8zJk) 
出典不明の雑誌の91年7月号頃の、4ページ目です。
「自分と肉体とかがなじんできた、みたいな。」
この事は、パンダのアンアンにも書いてあります。
「それまでは、宙に浮かんで、頭の上の方から客観的に自分を見ていた。
 幽体離脱した人が、自分の肉体を見ているような感じ。(中略)
 25歳の誕生日を迎える頃、私の魂は肉体に戻っていた。」
理想の女の子像を具現化していたアイドルとしてのキョンキョンを、
客観的に見ていた小泉今日子は、人間的に未熟な実像の自分自身が嫌いでした。
アフリカ体験で、自然に任せた生き方に共感した小泉今日子は、
実像の自分自身を好きになり、自分と肉体とかがなじんできたのでしょう。
同時にアイドル・キョンキョンから、自分の実像を発信していく表現者・小泉今日子に
シフトして行くきっかけになりました。
質問の4番目の答え「洋服なんかで判断されたくない。」
ファッション・リーダーと呼ばれていた小泉今日子が、実像の自分の意見を発言しています。
質問の9番目の答えも、理想から実像へシフトして来ている事を示す発言です。
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58 匿名 (17/01/07(土)03:42:44 ID:4Rk0KeFG2) 
WHAT's INの91年7月号頃の、1ページ目です。
「小泉今日子の歩いた後に道が出来る」
80年代後半の過激アイドル・コイズミの新しさを表している言葉です。
この時代は、先鋭のクリエーター達が、虚像アイドル・キョンキョンを作り、
実像の小泉今日子が、それを客観的に見ていました。
そして90年代前半、国民的アイドルとなった小泉今日子は、
91年に、虚像のキョンキョンと実像の小泉今日子が一体化しました。
その時に出てきたキーワードが「幸せ。あったかい。」であり、
この写真の表情にも、幸せそうであったかい感じが出ています。
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59 匿名 (17/01/07(土)04:20:42 ID:4Rk0KeFG2) 
WHAT's INの91年7月号頃の、2ページ目です。
厳しい自然界に対し、目を背けずに見つめていたい。というのが「afropia」のテーマでした。
だからこそ、虚像のキョンキョンではなく、実像の小泉今日子が必要になりました。
過去を振り返らない小泉今日子は、前作「No.17」のネーミングの由来も忘れています。
80年代は、松田聖子や中森明菜が直球を投げ、キョンキョンは変化球というイメージでした。
シングル「あなたに会えてよかった」が大ヒットしている頃は、
松田聖子や中森明菜の分まで、小泉今日子が直球を投げているように思いました。
「今までいろんなことやって、いろいろ見てきて、いろんなものに挑戦してきて。」
80年代に、先鋭のクリエーター達が作った理想の虚像アイドル・キョンキョンを演じ続けながら、
「それが少しずつ自分の中にしみていって、その積み重ねが今になってやっと「自信」という
 形になって。ポーンと楽になったんじゃないかな。」
虚像のキョンキョンと実像の小泉今日子が一体化していく過程を、このように表現しています。
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60 匿名 (17/01/11(水)04:15:48 ID:vgnaKSchw) 
WHAT's INの91年7月号頃の、3ページ目です。
アルバムに関する小泉今日子のコメントはよく載っていますが、シングルは珍しく、
さすが10周年企画という感じです。
「私の16才」デビュー曲は松田聖子さんみたいな爽やかな曲だろうと思ってたら...
ビクターは松本伊代の売り出しに力を入れていて、キョンキョンはカバー曲ばかり。松田聖子の
初期のアルバムは全部持っていて、よく口ずさむほど好きでしたが、念願は叶いませんでした。
「素敵なラブリーボーイ」林寛子さんの原曲は、パンチがあってセクシーなんだけどなあ。
その通りだと思いました。同じ16歳の頃に歌っていても、芸歴の長い林寛子は、
男の子をリードするような歌い方、キョンキョンは可愛らしさを全面に出した歌い方でした。
「真っ赤な女の子」大人ってなんでこんな変なこと考えるんだろうって。
明石家さんまは、キョンキョンのデビュー曲だと思っていたそうです。
他にも、これがデビュー曲だと思っていた大人は多いと思います。
「迷宮のアンドローラ」カッコいい2枚目の曲も、やっと歌わせてもらえるんだなと思った。
デビュー曲から期待はずれの曲が多く、ようやく本人の念願が叶いました。
「常夏娘」と「魔女」のコメントを比較すると、本人の嗜好が良く分かります。
「常夏娘」は夏にピッタリですが、キョンキョンが歌う必然性はないような曲です。
「魔女」は、歌詞から入る曲です。後に作詞や女優活動が多くなる本人が好きなのも頷けます。
「夜明けのMEW」が大好きなのも頷けます。「キスを止めないで」ライブでの男の子ウケがいい。
ライブで歌う時は、ロック全開のアレンジだからです。
「快盗ルビイ」この曲を歌うの、気持ち良くって好き。聞いている方も気持ち良くなります。
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61 匿名 (17/01/11(水)05:32:45 ID:vgnaKSchw) 
WHAT's INの91年7月号頃の、4ページ目です。
ホールコンサートとしては最後になった「セクシー・ダイナマイト・ツアー」は、
その一部分が、翌年のビデオ「小泉今日子宇宙人説」の中に収録されています。
「わたしのロリポップ」を歌う時、金髪のカツラを被り、ワンダーウーマンの衣装を黒くした
ような格好で、セクシー・ダイナマイトぶりをアピールしていました。
80年代は、理想の女の子像を具現化していたアイドルでしたが、
ドラマ「パパとなっちゃん」では、「すごく大事に育てられて、卒業して、就職して、
結婚していくっていう。」幸せな女の子を演じました。
小泉今日子は、アイドルとしても、女優としても、
本人が思う理想を演じる時に、一番輝いています。
CMに出る時、使える商品だったら絶対その商品を使ってみると、言っています。
コイズミ・イン・モーションでは、「私は庶民派だから、宝石等の高級品のCMは来ない。
生活必需品のCMが多い。」と言っていました。庶民派の立場に立ってCM出演していたから、
好感度バツグンのCMクィーンになれたと思います。
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62 匿名 (17/01/15(日)03:30:40 ID:hDk4Qhqj.) 
これも出典不明(忘れた)の雑誌の91年7月号頃の、1ページ目です。
メインカットの表情が可愛いです。
80年代は、可愛いアイドルからカッコいい過激アイドルに変化し、
他のアイドルとの差別化を図ってきました。
90年代に入って、他の80年代アイドルがアイドル卒業をする中、
国民的アイドルとなった小泉今日子は、より可愛くなった感じです。
このカットは、実像の小泉今日子の穏やかな可愛らしさが出ていると思います。
「自分で自分のジャンルを決めていないから楽しい」
「それは最初から全部私がもっている場所、アイドルですからね。」
80年代に、アイドルの活動範囲をどんどん広げていったキョンキョンだからこそ、
ジャンルにこだわらず、自然体でいろいろな事が出来るアイドルになりました。
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63 匿名 (17/01/15(日)04:07:56 ID:hDk4Qhqj.) 
出典不明(忘れた)の雑誌の91年7月号頃の、2ページ目です。
「ふだん自分が感じたり、しゃべったりする言葉じゃなければ、私が詞を書く必要はない。」
歌詞の内容も、自分の体験や感情を元にしています。
だからこそ、小泉今日子の実像がにじみ出る、専門の作詞家やアーティストには書けない
作詞が出来るようになりました。
この手法は、やがてエッセイや書評にも反映されて行きます。
「このアルバムの中の曲を並べ替えて聴くと、ひとりの女の子がすごく強くなっていくさまが
見えてくる。」それは、小泉今日子自身が、精神的に成長して行くさまが、反映されています。
ビジュアルは、カッコいい過激アイドルに見えた80年代のキョンキョンですが、
それは、虚像としての理想のアイドル像でした。
「また大人が、変な事考えている。」と、それを傍観している実像の小泉今日子がいました。
同性に支持されなければ、トップアイドルとして長く君臨出来ない事を、
山口百恵と他の70年代アイドルとの比較で学習した、松田聖子・中森明菜・中山美穂は、
各々のアプローチで、同性からの支持を受け、長くトップアイドルに君臨しました。
80年代のキョンキョンも、同性からの支持はありましたが、この3人には及びませんでした。
小泉今日子が、真に同性からの支持を伸ばしたのは、90年代に入ってからであり、
91年がその転機になったと思います。
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64 匿名 (17/01/19(木)04:31:40 ID:wOa2pHdPg) 
フラッシュの91年12月頃の、1ページ目です。
レコード大賞部門賞発表(11月19日)で、作詞賞を受賞した時に、
出席した模様が載っています。大晦日は、例年通り欠席したので、VTR出演でした。
田村ディレクターは、雑誌MEKURUのインタビューで、「レコード大賞作詞賞を取ってからは、
こちらから直しをお願いする事はなくなりました。レコード大賞作詞賞の人に向かって、
自分が何も言うことはないだろうって。」と語っています。
名実ともに、小泉今日子が優秀な作詞家になった事を裏付ける発言です。
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65 匿名 (17/01/19(木)04:47:00 ID:wOa2pHdPg) 
フラッシュの91年12月頃の、2ページ目です。
受賞曲「あなたに会えてよかった」は、120万枚の大ヒットと書いてあります。
オリコンでは、確か105万枚ぐらいだったと記憶しています。
その大ヒット曲を、事務所の社長が「こんなの売れるわけないだろう。」と一蹴し、
「じゃあ、売れたらどうするの?」と反論する小泉に、「なんでも言うこと聞いてやるよ。」
と言った事が、雑誌MEKURUの事務所の社長インタビューに載っています。
10年間アイドルとして頑張れば、その後は好きな事をさせてあげる。という
コイズミ・イン・モーションで言った社長談と、時期的にほぼ一致します。
そしてデビュー10周年となる92年から、小泉今日子は、
念願の女優業へ、徐々にシフトして行きました。
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66 匿名 (17/01/25(水)03:42:34 ID:ul461AG82) 
月刊カドカワの92年2月号の、1ページ目です。
「私とKYON2の間」という興味深いタイトルで、16ページの特集が載っています。
「いくらトップに立ってもそこで満足することはない。」
80年代は、松田聖子や中森明菜がトップに君臨し、キョンキョンは常に気楽な2番手で、
実験的な事が色々出来たと思います。
91年に「あなたに会えてよかった」でトップになってから、松田聖子や中森明菜が感じていた
追われる者の苦しさを感じ、トップを死守しようとすれば消耗するので、
トップを守る事にはこだわらず、攻めの姿勢を貫きました。
常にBクラスだったヤクルト・スワローズが優勝した時のような、
居心地の悪さを感じていたかも知れません。
92年は、野村監督の元、14年ぶりにヤクルト・スワローズが優勝した年でした。
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67 匿名 (17/01/25(水)03:47:48 ID:ul461AG82) 
月刊カドカワの92年2月号の、2ページ目です。
スピリチュアル・メッセージでは、正確にはデビュー10年目となる91年の事を、
振り返っています。
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68 匿名 (17/01/29(日)03:49:49 ID:YIjG6.9dQ) 
月刊カドカワの92年2月号の、3ページ目です。
1年前に、プライベートで行ったアフリカ旅行の事がから、語り始めています。
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69 匿名 (17/01/29(日)04:21:56 ID:YIjG6.9dQ) 
月刊カドカワの92年2月号の、4ページ目です。
キョンキョンには、見ないで済む現実からは目を反らす現実逃避癖があり、
本を読む事もその手段だったのかも知れません。
子供の頃大好きだった童話「人魚姫」の影響で、
「面倒な事、悲しい事、嫌な事が私の身に起こった時、消えてしまいたいと思うようになった。
(中略)儚いものは美しい。私も「人魚姫」を読んだあの日から、25歳ぐらいまでは
 そういう美意識を持っていた。」と、パンダのアンアンに書いています。
アフリカで自然の中にいる動物達を見て、弱肉強食の世界に居ながらも、延々と続く時間の中では、
小さな存在である事を動物達が知っていて、悪あがきをしていないと感じ、
現実を直視する人間になれたと、語っています。
小泉今日子にとって、アフリカ旅行で得たものは大きかったと思います。
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70 匿名 (17/02/02(木)03:52:18 ID:xny7MCy4I) 
月刊カドカワの92年2月号の、5ページ目です。
65で書いた社長との約束「10年間アイドルとして頑張ればその後は好きな事をさせてあげる。」
に通じる内容が、この雑誌にも書いてあります。
事務所の社長が「10年間やってもらうからね」と、デビュー時(82年)に言ったのは、
期待をかけて育てた石野真子が、わずか3年半のアイドル活動の後、
81年秋に結婚・引退したからです。(後に離婚・復帰しました。)
石野真子は、スター誕生の決戦大会前から事務所が誘い、決戦大会では16社のプラカードが
挙がる逸材でした。獲得してからは、キョンキョンと同様に1年間のレッスン期間を経て、
万全の体制でデビューしたので、結婚・引退した時の社長の落胆は、相当激しかったのでしょう。
その気持ちが、「10年間やってもらうからね」に込められていると思います。
この言葉が、キョンキョン持ち前の反骨精神に火を付け、10年間トップアイドルとして
頑張る事が出来たのでしょう。だから、10周年という気持ちが強いと言っています。
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71 匿名 (17/02/02(木)04:36:16 ID:xny7MCy4I) 
月刊カドカワの92年2月号の、6ページ目です。
91年まで続いたホールツアーでも、観客と掛け合いながら盛り上がるのが得意な
キョンキョンだったので、より観客が近い距離にいるライブハウスに魅力を感じたのでしょう。
98年に、7年ぶりに行ったコンサートから、ライブハウスだけになりました。
キョンキョンが武道館コンサートを一度も行っていないのは、観客が遠くにいるからです。
「パパとなっちゃん」で田村正和と共演した時は、素敵な人で、胸がときめいたそうです。
(ドラマが始まる時に、他局のトーク番組「君といつまでも」で告白。)
また、ADにまで気を配る田村正和のプロ意識に関心したそうです。
そうした素晴らしい先輩達と共演して得た経験を、今は後輩達に伝える立場になりました。
既に当時の田村正和の年齢を超えた小泉今日子は、ドラマに出演する際、
撮影現場を纏めたり、和ませたりしています。田村正和のプロ意識を見習っているのでしょう。
中井貴一と対談した番組でも、前の世代から自分達の世代に継承されたものを、
次の世代へ引き継いでいく事について、語り合っていました。
そんな小泉今日子の行動によって、後輩女優達に慕われる存在になりました。
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72 匿名 (17/02/10(金)01:51:49 ID:8aDmzdkF6) 
田村正和の話が出たところで、月刊カドカワはひと休みし、
DVD「パパとなっちゃん」のブックレットを載せます。これは1ページ目です。
二人の顔を大きく載せず、季節感のあるグッズを載せているあたり、
キョンキョン主演らしい、かわいいセンスの表紙です。
最近も見直したので、ホットな感想が書けそうです。
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73 匿名 (17/02/10(金)02:23:52 ID:8aDmzdkF6) 
DVD「パパとなっちゃん」のブックレットの、2ページ目です。
夏実=なっちゃん(小泉今日子)が10歳の時に、ママ(五十嵐淳子)が亡くなりました。
毎回、最初と最後に、ママが生きていた頃のエピソードがあり、
本編をサンドイッチにする構成のドラマです。
なっちゃん役は、第一話は赤ん坊、二話目以降は、
3歳・6歳・9歳ぐらいの子役3人で、演じています。
本編は、なっちゃんが20歳の誕生日を迎える第一話から、
25歳で結婚する最終話までを描く構成です。
第一話は、なっちゃんの登場シーンがあまり多くありません。
小泉今日子をこのドラマに慣れさせるための、スタッフの配慮かも知れません。
第二話以降は、パパ(田村正和)と、がっぷり四つに組んだ演技が見られます。
下のカットは、第三話の最後で、夜食にうどんを食べるシーンだったと思います。
まどかさんは、ママのお母さんであり、昨年亡くなった白川由美が演じています。
ちなみに、サントリーのジュースのなっちゃんは、このドラマの7年後の発売です。
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74 匿名 (17/02/10(金)02:56:00 ID:8aDmzdkF6) 
DVD「パパとなっちゃん」のブックレットの、3ページ目です。
なっちゃんの親友・厚子役は、とよだ麻帆が演じています。
「愛し合ってるかい」に続いての、キョンキョンとの連ドラ共演です。
背の低いキョンキョンと、背の高いとよだ麻帆が並ぶと、いい味が出ています。
梅ちゃん役の浜田雅功(ダウンタウン)は、これが連ドラ初出演になります。
キョンキョンとの共演を機会に、「浜ちゃんと!」というバラエティ番組に、
初回(2回分・2003年10月)と、半年後の2回分に、
ゲストとして小泉今日子を呼んでいます。
第四話から、感動する物語になって行きます。
第四話は、パパが会社を辞めて自宅で仕事をする理由が、感動的です。
第五話は、なっちゃんがパパの勧める就職先ではなく、自分の選んだ道に進む部分の、
パパとの対話が感動的です。キョンキョンが、我が道を行くアイドルになった事とも
重なって見える話であり、小泉今日子が演じるからこそ、説得力があります。
左下のカットは第二話で、パパに打たれるシーン、
右下は第三話で、大学の先輩の勝俣州和にゴルフを教わるシーンです。
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75 匿名 (17/02/14(火)03:19:09 ID:9PZUzv9eA) 
DVD「パパとなっちゃん」のブックレットの、4ページ目です。
第六話の、亡くなったママにそっくりな女性(五十嵐淳子)が出てくる設定は、
4年前の中山美穂主演ドラマ「ママはアイドル」にもありました。
そこで「パパとなっちゃん」ではひと工夫し、いつもは最初と最後にある、
ママが生きていた頃のエピソードの部分を、なっちゃんが高校生の頃のエピソードに変えています。
本編では五十嵐淳子が登場するので、ママが登場しなくても大丈夫です。
高校生役のなっちゃんは、小泉今日子が演じていますが、本編(22歳の頃)と区別するため、
ロングヘアーのかつらを被っています。25歳の小泉今日子でも、見た目が若々しいので、
何の違和感もなくセーラー服姿の高校生が似合います。
高校の卒業式では、わざと焦点のボケた瞳を作り、まだ漠然と生きていた頃の
なっちゃんの高校時代を、表情の演技で表現しています。
第七話から、小泉今日子の実年齢と同じ25歳のなっちゃんを演じています。
下の2カットでは、なっちゃんカットの髪型の前髪をわざと揃えず、
25歳になった社会人としてのなっちゃんを表しています。
初恋の相手の平野君は、大鶴義丹が演じています。
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76 匿名 (17/02/14(火)04:02:15 ID:9PZUzv9eA) 
DVD「パパとなっちゃん」のブックレットの、5ページ目です。
第八〜九話が、なっちゃんの結婚相手・杉本が登場するクライマックスであり、
下のカットで写っているように、大江千里が演じています。
このドラマへの出演が縁となって、同じプロデューサーの次クールのドラマ「結婚したい男たち」
の主題歌「カッコ悪いふられ方」を担当し、大江千里の代表作のひとつになりました。
昨年、「小泉今日子50歳ニューヨーク」というドキュメンタリーで、
ニューヨークに住んでいる大江千里と、小泉今日子が再会し、
「あなたに会えてよかった」をセッションしていました。
杉本の実家が宮崎県という設定は、後に小泉今日子と結婚した永瀬正敏の出身も宮崎県なので、
未来の結婚を予想しているかのような脚本です。
第九話の最後には、さだまさしの「親父の一番長い日」のクライマックスのようなシーンがあり、
パパ(田村正和)が、大江千里を殴るのかと思いました。
このドラマの一番感動的なシーンです。
最終話では、結婚式前日に、なっちゃんが25年間住んだ家にサヨナラをするため、
家事を全部一人でします。サイフォンを見上げている表情が可愛らしく、
20歳の頃のなっちゃんよりも、可愛く活き活きとして見えました。
パパと最後のデートをするシーンは、二人の息がピッタリで、第一話のようなぎこちなさは
微塵もありません。なっちゃん(小泉今日子)が、一番輝いて見える回です。
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77 匿名 (17/02/14(火)04:14:41 ID:9PZUzv9eA) 
DVD「パパとなっちゃん」のブックレットの、6ページ目です。
ドラマが放送された1991年の事件や流行等を振り返っています。
ジュリアナ東京は、この年オープンだったんですね。もっと前の印象があります。
カルピス・ウォーターもこの年の発売でした。
薄めて飲むジュース類が無くなったのは、この頃なのでしょう。
宮沢りえの写真集「Santa Fe」については、覆面座談会という名目で、
小泉今日子がコメントしています。
ムック本「裏小泉」に載っているので、いずれアップしようと思います。
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78 匿名 (17/02/18(土)03:24:26 ID:RzwUi1zLA) 
DVD「パパとなっちゃん」のブックレットの、7ページ目です。
1991年に流行ったテレビ番組や歌を振り返っています。
時代の波を読むのが素早いフジテレビが、トレンディドラマから純愛ドラマに切り替えて、
高視聴率ドラマを、大ヒット主題歌とともに連発した年です。
ミリオンヒットが量産されたのもこの年からで、連ドラの主題歌になると、
大ヒットするという方程式が確立された年です。
長年続いた人気歌番組が、すべて終了した影響もあると思います。
歌番組で歌うのが苦手な小泉今日子には追い風になり、
得意な松田聖子や中森明菜には逆風になった感じがします。
もちろん、「パパとなっちゃん」の主題歌「あなたに会えてよかった」も、
ミリオンヒットになりました。
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79 匿名 (17/02/18(土)03:35:53 ID:RzwUi1zLA) 
DVD「パパとなっちゃん」のブックレットの、8ページ目(最後)です。
1ページ目と同じグッズを、全く同じカット・レイアウトで載せていて、
パパとなっちゃんの位置と表情だけが、異なっているあたり、洒落たセンスの裏表紙です。
表紙は二人ともおどけた表情ですが、この裏表紙は二人とも怒った表情で統一されています。
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80 匿名 (17/02/22(水)04:38:35 ID:ecFjy1GFk) 
月刊カドカワの92年2月号に戻って、7ページ目です。
小泉今日子が、この時期にCMクィーンになれたのは、CMと他の仕事とを切り離して
考えられたからでしょう。80年代までのアイドルCMは、その時々のアイドルの個性に
合わせてCMが作られていました。しかし、CMクィーンになってからの小泉今日子は、
歌やドラマで成長した姿を見せている小泉今日子とは別に、
国民的アイドルとしてのキョンキョンが一人歩きしているようでした。
「私はね、放っとくとどんどん自信がなくなるタイプなんですよ。」
コンサートツアーで、ファンと掛け合いをしながら激しく動き回っていたキョンキョンからは、
想像もつかないタイプですが、無意識のうちに、自分を鼓舞していたのかも知れません。
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81 匿名 (17/02/22(水)04:51:03 ID:ecFjy1GFk) 
月刊カドカワの92年2月号の、8ページ目です。
決めるのが苦手というのも、本音をズバズバ言うアイドル・キョンキョンからは、
想像もつかない事です。やはり25歳になるまでは、芸能活動をしているキョンキョンを、
上から冷静に見つめている小泉今日子がいたのだと思います。
25歳の頃、キョンキョンと小泉今日子が一体化し、自分で決めるという苦手な事に対して、
真剣に取り組むようになりました。真剣になればなるほど、
自分の内面を深く掘り下げて考えるようになり、それが充実した作詞活動や、
エッセイに結実して行ったと思います。
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82 匿名 (17/02/26(日)04:03:43 ID:WjbviqBcU) 
月刊カドカワの92年2月号の、9ページ目です。
恋愛の仕方も、25歳の頃にがらりと変わったと言っています。
アルバム「afropia」収録の「プロセス」という本人作詞の曲では、
「誰かに写る私じゃなくて 本当のありのままの私で 真っ直ぐにあなたを見つめていたい」
と歌っていて、この頃の心境の変化が分かります。
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83 匿名 (17/02/26(日)04:43:21 ID:WjbviqBcU) 
月刊カドカワの92年2月号の、10ページ目です。
当時のスポーツ新聞に、「大好きなキョンキョンが来てくれた」というようなタイトルで、
確かに観月ありさの記事が載っていました。15cmの身長差や、11歳の年齢差を、
面白可笑しく伝えていました。キョンキョンがデビューした82年に、
観月ありさも子役モデルとしてデビューしたので、何と芸歴は同じです。
この二人が出会ったのは、放送最後の年を迎えた夜ヒットの90年でした。
キョンキョンが出演する回に、歌手デビューが決まった観月ありさが見学に来ていて、
「中学生だった彼女は緊張していたのか、怒ったような顔で不器用な挨拶をした。
媚びる事とか、自分を良く見せる方法とかそんな事は何にも計算されていない、
ぶっきらぼうな女の子だった。そんな様子がちゃんと年相応で可愛かった。(中略)
なんか自分を見ているようで可笑しかった。仕事を始めた頃、私もそんな子だったから。
そういう不器用な所が似ているせいか、私達は結構ヨロシクやってます。」
と、パンダのアンアンで、仲良くなった理由を説明しています。
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84 匿名 (17/03/02(木)03:50:09 ID:H9kmv1I3k) 
月刊カドカワの92年2月号の、11ページ目です。
三上博史と、ドラマ「あなただけ見えない」、93年の正月映画「病は気から 病院へ行こう2」
で共演した縁で、93年の三上博史主演ドラマ「チャンス」に、ゲスト出演しました。
「あなただけ見えない」の多重人格の三上博史のイメージが強烈だったので、
「病は気から 」の三上博史も、そのイメージが残っている感じがしました。
「この仕事って、作品が毎年毎年残っていくから面白いんですよね。」
小泉今日子ほど、沢山の作品を残していたら、楽しいだろうなあと思います。
「写真とかは仕事でちゃんと撮ったものはすごく綺麗だけど、
またちょっと違うかなァて思うのね。」
だから、パンダのアンアンで、初めてのエッセイを連載する時、
自分でセルフタイマーで撮った自分の写真を載せていたのでしょう。
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85 匿名 (17/03/02(木)04:18:50 ID:H9kmv1I3k) 
ドラマ「あなただけ見えない」の話が出たところで、ザ・テレビジョンの
92年1月末ぐらいの号から、第四話に関する記事です。
とにかく、先の展開が全然読めないドラマでした。当時「ジェットコースタードラマ」と
言われるぐらい、話の展開がスピーディーでした。
これだけのキャストが揃ったら、高視聴率の取れるトレンディードラマを作れるのに、
と誰かが言っていましたが、今となっては「ジェットコースタードラマ」で正解だと思います。
小泉今日子のナレーションも上手く、この後2001年の「恋を何年休んでますか」や、
2012・2014年の「最後から2番目の恋」シリーズでも、印象的なナレーションをしています。
ナレーションはあくまで恵「小泉今日子の役」目線なので、本木雅弘が話の展開が分かるような
セリフを言っていて、コイズミ・イン・モーションにゲストで出た時、
このドラマの自分の事を「説明君」と言っていました。
記事に書いてある37ページ目は、残っていませんでした。
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86 匿名 (17/03/06(月)03:03:26 ID:0./ZLpsvU) 
月刊カドカワの92年2月号に戻って、12ページ目です。
この時点での、本人による小泉今日子作詞作品解説が、5ページに渡って載っています。
美夏夜時代は、田村ディレクターが「こんなフレーズはどう?」とヒントを投げて、
本人がいろいろ考える(雑誌MEKURUの田村ディレクターのインタビューより)
という作詞の仕方だったので、小泉今日子という名前を出さなかったのでしょう。
最初の小泉今日子名義の作詞作品「Fairy Tale」は、ビデオ「Phantasien」で、
歩くひまわりが出てくるので、そこに流れているバージョンが印象的でした。
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87 匿名 (17/03/06(月)03:41:08 ID:0./ZLpsvU) 
月刊カドカワの92年2月号の、13ページ目です。
「やっぱりちゃんとした上手な人に書いてもらったほうがいいと思う」と、
駄々をこねていた小泉今日子を、根気よく説得していた田村ディレクターがいなければ、
作詞家としての小泉今日子は、誕生していなかったでしょう。
「GOOD MORNING-CALL」は、シングルで初めて小泉今日子が作詞した曲になりますが、
「小室さんの曲は、音符が多くて作詞が大変だった。」と、コイズミ・イン・モーションで
言っていました。まだ、小室哲哉が一大ブームを起こす6年以上前の曲です。
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88 匿名 (17/03/14(火)03:21:45 ID:5/T2YwnlE) 
月刊カドカワの92年2月号の、残り3ページは後から載せます。
白黒ばかり続かないよう、カラーの記事を。
月刊MYOJYOの92年暮れぐらいの号から、さくらももことの対談の1ページ目です。
6ページに渡って、対談が載っています。
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89 匿名 (17/03/14(火)03:27:15 ID:5/T2YwnlE) 
月刊MYOJYOの92年暮れぐらいの号から、さくらももことの対談の2ページ目です。
さくらももこのにこにこ対談と題した新連載の最初のゲストが、キョンキョンでした。
4年前にキョンキョンのラジオ番組に出たと書いてあるのは、
オールナイトニッポンの事でしょうか。
同い年の二人が、好きだったアイドルについて語り合っています。
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90 匿名 (17/03/14(火)03:46:55 ID:5/T2YwnlE) 
月刊MYOJYOの92年暮れぐらいの号から、さくらももことの対談の3ページ目です。
さくらももこは、痩せてた頃の渡辺徹のファンで、グリコのCMでキョンキョンと渡辺徹が
共演した時は、心底小泉今日子になりたかったそうです。
それでも、キョンキョンにヤキモチ焼いたりしなかったのは、
「女のあたしから見ても、かわいいんだもん。」と思わせるルックスやキャラクターが
あるからでしょう。同性は、単に顔が可愛いだけなら反感を持ちますが、
キョンキョンは、仕草や言動まで含めて可愛いので、同性からも人気があるのでしょう。
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91 匿名 (17/03/18(土)04:35:40 ID:qW7.kjg6s) 
月刊MYOJYOの92年暮れぐらいの号から、さくらももことの対談の4ページ目です。
初対面で、ここに書いてあるようなトンチンカンな挨拶をした先輩・松田聖子に会うと、
最近でも上がってしまうそうです。5年ぐらい前にCMで共演した時も、
「今日子ちゃんは映画で頑張ってるね。」と声をかけられ、「ハイ、自分頑張ってマス。」と
緊張して答えていたそうです。この対談の翌年春に、ミュージックステーションに出演した時は、
「ドラマのOL役で、地味な服ばかり着ていると、派手な服を着たくなりますよね。」
と同意を求め、「うん。うん。」と頷いた松田聖子に、安心したそうです。
人気アイドルになっても、好きな先輩アイドルに対するファン心理は、変わらないようです。
(キョンキョンは「愛するということ」で、松田聖子は「私ってブスだったの」で
 OL役をやっていた頃です。)
この対談の頃は、後輩に会う方が緊張すると言っています。緊張せずに後輩と接するように
なったのは、21世紀に入り、長澤まさみと仲良くなった頃からでしょう。
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92 匿名 (17/03/18(土)04:52:12 ID:qW7.kjg6s) 
月刊MYOJYOの92年暮れぐらいの号から、さくらももことの対談の5ページ目です。
子供の頃、手を抜いた番組や二番煎じにビンカンなのは、私も同じでした。
キョンキョンの「ワーッて騒がれているときって、そういうのって見えないんだよね。
それが、だんだんワーッじゃなくって、クスっと笑う人が見えてきて〜。」
の発言は興味深いです。ほとんどの人気アイドルは、「ワーッて騒がれているとき。」
(ピンク・レディーは、台風の目の中にいる時、と言っていました。)
だけで終わってしまいます。長く人気を保てるアイドルの極意が、
「クスっと笑う人が見えてきて〜。」だと思います。
さらに進化すると、「次のこと考えて、にこにこしながら、今のことをやってる。」
という、余裕が生まれてくるのでしょう。
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93 匿名 (17/03/18(土)05:02:02 ID:qW7.kjg6s) 
月刊MYOJYOの92年暮れぐらいの号から、さくらももことの対談の6ページ目です。
ももこの感想の一番下「トロッとした嫌味のない色気を出しながら、
あんなに軽やかに歌っている。」キョンキョンの歌の魅力を、見事に表現しています。
90の左下で、ももこがキョンキョンの好きな歌1位に挙げている「快盗ルビィ」に、
それが端的に表れています。
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94 匿名 (17/03/22(水)03:58:10 ID:5Uv1fV0Gw) 
ananの92年暮れぐらいの号の、1ページ目です。
anan読者が選ぶ好きな女性タレントで、連続1位を記録していた頃です。
大勢のタレントさんが揃うテレビ番組は、番組名は忘れましたが、
92年10月に放送していた音楽番組の特番でした。
キョンキョンが、ミニアルバム「Banbinater」のオープニング曲「東京ディスコナイト」を
歌っていました。久しぶりに会った先輩の方は、和田アキ子で、
隣の私より何年も後にデビューしたコは、工藤静香の事を言っているはずです。
「KYON2は明るくって、前向きで、みたいなイメージをもたれているとしたら、
それは私にとって喜ばしいことなんです。」
80年代に、理想の女の子像を実現出来たからこそ、90年代に入っても、
CM等で、そのイメージ作りが簡単に出来るようになりました。
90年代のキョンキョンA画像94
95 匿名 (17/03/22(水)04:01:23 ID:5Uv1fV0Gw) 
ananの92年暮れぐらいの号の、2ページ目です。
自然体でありながらも、自身に満ちているような表情に見えます。
仕事が充実している事の証でしょう。
90年代のキョンキョンA画像95
96 匿名 (17/03/26(日)03:48:51 ID:oXOc/qBpE) 
ananの92年暮れぐらいの号の、3ページ目です。
海外旅行は、スタイリストの友人がパリに引越してから、フランスが多いです。
パリならひとりで行けると、コイズミ・イン・モーションで言っていました。
「ダメなんですよ。地図とか説明書とかの心がこもってないものを読むのが。」
右脳人間の小泉今日子らしい発言です。
スター扱いされるのが嫌いなので、海外へ行くと心が休まるのでしょう。
後にニューヨークに行った時も、スリにあった事を、「こういうチームワークでスリをするんだ」
と、テレビで面白可笑しく話していました。
「アルバイトではなく、正社員として働いている。」芸能人なのに、
自分を会社員に例えて話すのは、50代になった今も変わっていません。
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97 匿名 (17/03/26(日)03:52:16 ID:oXOc/qBpE) 
ananの92年暮れぐらいの号の、4ページ目です。
冬は重ね着が楽しめるから好き、と言っているキョンキョンらしいファッションです。
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98 匿名 (17/03/30(木)04:00:38 ID:5ugMcekAM) 
ananの92年暮れぐらいの号の、5ページ目です。
左上のヘア&メイクの渡辺サブロオさんは、キョンキョンに一番似合うヘア&メイクを
考え出した人です。パンダのアンアンで、私の決め顔であるキョンキョン顔を
見つけてくれた人として、紹介しています。
「私って弱虫なところがあって、たまに人に怒ったり、イジワルしたりすると、
自己嫌悪に陥っちゃって、罪悪感にさいなまれがちなんですよ。」
長い間人気アイドルを続けていると、やはり「いいコにいいこコに見せようとする」
習慣が付いてしまうのでしょう。その方が、揉め事が起こらずに済むので楽なのでしょう。
それを止めるために、「人に厳しくする」を目標に掲げました。
家族に対して気を抜くのは、17歳の時に、2歳上の姉に出来た赤ん坊に、
わさび漬けを食べさせたエピソードからも、分かります。
仕事の愚痴を、母親にぶつけていた事は、平井堅との対談番組でも話していました。
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99 匿名 (17/03/30(木)04:09:07 ID:5ugMcekAM) 
ananの92年暮れぐらいの号の、6ページ目です。
この雑誌のヘア&メイクは、渡辺サブロオさんではありませんが、
SASHUという同じ事務所に勤めるヘア&メイクの人なので、
キョンキョン顔を心得ている感じの表情です。
渡辺サブロオさんのヘア&メイクより、若干濃い目ですが、衣装と合わせているのでしょう。
90年代のキョンキョンA画像99
100 匿名 (17/04/12(水)01:09:55 ID:X0emF9HBg) 
ザ・テレビジョンの92年12月頃の号(1ページのみ)です。
4年ぶりの主演映画「病は気から 病院へ行こう2」は、
癌になってからの展開がユニークだったので、職業が美容師だった事を忘れていました。
スター誕生で落ちたら、美容師になろうと美容学校のパンフレットまで
取り寄せていたという、キョンキョン憧れの職業なので、このハシャギぶりも分かります。

スレ主さん、まだ載せたい記事や画像が沢山あるので、
新スレ立てるのを1週間ぐらい待っています。
90年代のキョンキョンA画像100
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