90年代のキョンキョンB

 
1 匿名(17/04/24(月)03:14:27 ID:aBK/Q5Yw.) 
>スレ主さん、まだ載せたい記事や画像が沢山あるので、
>新スレ立てるのを1週間ぐらい待っています。

既に10日以上経っているので、立てました。
前スレのスレ主さん、ご了承下さい。

80年代のキョンキョンは、80年代板のスレに載せて下さい。

これは、JUNONの92年暮れぐらいの号の、3ページ目です。
スレ画に相応しいように、拡大しました。
よく見ると綺麗な顔のキョンキョンですが、本人が照れていたのか、
元気で明るいキョンキョンスマイルを大事にしていたのか、
この頃まで、あまり綺麗な表情を表に出していませんでした。
この後始まるドラマ「愛するということ」が、個人的には、
一番綺麗なキョンキョンの表情を、楽しめました。

参考までに、前スレのアドレスを書いておきます。
前スレ  http://1990s.harikonotora.net/r/481/all
前々スレ http://1990s.harikonotora.net/r/90/all
90年代のキョンキョンB画像
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2 匿名 (17/04/24(月)04:03:14 ID:aBK/Q5Yw.) 
前スレで途中だった、月刊カドカワの92年2月号の続きを載せていきます。後3ページです。
これは14ページ目で、本人による小泉今日子作詞作品解説の3ページ目です。
「Happy Blue」も、「GOOD MORNING-CALL」と同様、好きな曲でした。
「曲のタッチと詞がミスマッチしている感じ」と言っています。
詞はBlueな感じでも、キョンキョンのボーカルからは、Happyで元気な感じしか伝わってきません。
悩み性の自分を、それじゃ駄目だぞと思って書いた。との事なので、目的は達成されています。
アルバムのオープニング曲「Cutey Beauty Beat Pop」も好きですが、
野村義男との共作なので、コメントを控えていると思います。
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3 匿名 (17/04/28(金)02:57:11 ID:Seu0bojqs) 
月刊カドカワの92年2月号の、15ページ目です。
アルバム「No.17」では、「ドライブ」と「mother MARIA」が好きです。
沢山作詞する事によって、恥ずかしさが無くなってきたのでしょう。
作詞に前向きな姿勢が出てきたと、言っています。
書き始めたら30分ぐらいで出来るそうですが、それまではすごくかかると言っているのは、
曲を聞いて、日常生活の中で印象的だった風景(歩いている時や、車の中から外を見ている時)
と結びつけるまでに時間がかかるのでしょう。
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4 匿名 (17/04/28(金)03:32:15 ID:Seu0bojqs) 
月刊カドカワの92年2月号の、16ページ目(最後)です。
「君に届くかな?」は、歌っているキョンキョンの楽しさが伝わって来る曲で、大好きです。
作詞した小泉今日子と、作曲のOTOの気持ちが、ピッタリ合っているからでしょう。
「愛は勝つ」「どんなときも」「それが大事」と、応援ソングが流行っていた頃であり、
小泉今日子なりの、ファンへの応援ソングにも聞こえます。
「あなたがいた季節」は、本人が言っている通り、リアルです。
小泉今日子の過去の恋愛経験が、元になっていると思います。
恋をしている時は、詞がスラスラ書けると言っていました。
仕事と私生活をハッキリ分けていた80年代と、私生活から生まれてくる事を作詞し、
心のヒダを開けた90年代とでは、小泉今日子の生き方が異なるので、
80年代板と90年代板の両方に、キョンキョンスレがあるのは、いい事だと思います。
「あなたに会えてよかった」は、「生きている事への感謝」の気持ちを作詞し、
他の人がまだ書いていない分野だったので、作詞賞を取れたのでしょう。
「芸能人としてだけで生きてこなくてよかった」これが、他の80年代アイドル達と
小泉今日子の決定的な差であり、長くアイドルを続け、今でも芸能界の第一線にいる秘訣でしょう。
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5 匿名 (17/05/02(火)02:24:42 ID:mrRH9qFiY) 
真面目な文章の画像が続かないように、たまには息抜きに下世話な雑誌を。
フライデーの92年6月頃の号の、1ページ目です。
アルバム「afropia」で、「プロセス」「風になりたい」の2曲(2曲ともいい曲でした)を
提供した藤井尚之との、2ショットをフライデーした写真です。
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6 匿名 (17/05/02(火)03:27:52 ID:mrRH9qFiY) 
↑5の訂正:6月頃の号→9月頃の号

フライデーの92年9月頃の号の、2ページ目です。
(8月下旬と書いてあるので、9月頃の号でした。)
この頃キョンキョンが一軒家に住んでいた事は、この年の暮れに放送された
「ドラキュラが狙っている」というテレビ番組で、告白しています。
「いざ住んでみると意外に面倒くさい。」と言っていましたが、
95年2月に結婚するまで住んでいました。結婚時に、「6回目の引越し」とパンダのアンアンで
書いているので、なるべく引越ししたくなかったのでしょう。
エイズ騒動は、この後12月10日発行のムック本「裏小泉」で、エイズ検査で陰性になった
検査結果をプリントしたトレーナーを着た姿を公開し、彼女らしい否定の仕方をしました。
騒動の元は、92年1Qの連ドラ「あなただけ見えない」の後、ほとんど公の場に姿を見せず、
テレビ出演も3回ぐらいで、夏のコンサートツアーもしなかったためでしょう。
この年を最後に解散する事になるチェッカーズとは、公私ともに仲が良かったようです。
80年代のレコード売上ピーク時の時期(84年)も重なり、
5回出場した紅白歌合戦でも、その内の3回は、対戦相手がチェッカーズでした。
アイドルからアーティスティックに見える時期への移行も、同じ頃からです。
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7 匿名 (17/05/06(土)04:03:25 ID:yjXXjfwIc) 
フライデーの92年9月頃の号の、3ページ目です。
フミヤとの深夜デートを、フライデーされた事は、後で知りました。
確か、フライデーが撮影したベストカット集の中に入っていました。
翌93年2月発売の大ヒット曲「優しい雨」の、カップリング曲「永遠の友達」
(作詞:小泉今日子)は、もしかしたら藤井尚之との交際が元になっているのかも知れません。
4で書いたように、恋をしている時は詞がスラスラ書ける、と言っている通りの歌詞です。
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8 匿名 (17/05/06(土)04:22:46 ID:yjXXjfwIc) 
フライデーの92年9月頃の号の、4ページ目です。
キョンキョンが住んでいた一軒家は、所属事務所が2年前に購入したそうです。
80年代に、給料を沢山もらっても、お金の使い道に悩むので、
給料を上げないように事務所の社長に頼んだそうですが、
社長がそんなキョンキョンのために、買っておいたのかも知れません。
家事が好きなキョンキョンは、近所にある商店街にも良く出かけていました。
商店街の店のおばさんとの会話を、楽しんでいたようです。
今月12日(金)PM10:00〜に、5年ぶりにオールナイトニッポンのパーソナリティを
1日だけ務めるそうですが、その記者会見でも「いくつになっても、オシャベリって楽しい。
それが女という生き物です。」と語っています。
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9 匿名 (17/05/14(日)03:54:41 ID:umDpY8GC.) 
JUNONの92年暮れぐらいの号の、1ページ目です。

80年代スレにも書きましたが、昨日、オールナイトニッポンGOLD聞きました。
途中で、キョンキョンの個人スマホ?宛に、のん(能年玲奈)からメールが来たと言ったり、
ライブ感一杯の番組でした。能年玲奈とは、今でも仲良しだそうです。
制作事務所「明後日」を設立したのも、舞台やライブハウスなどの、
ライブ感溢れるものをプロデュースしたいから、と言っていました。
去年の舞台は、自分も出演ていたので見れなかったけど、
今年の舞台はプロデューサーに専念出来るので、毎回客席から見る事が出来て楽しみと言うと、
演出と主演を兼ねた豊原功補(ゲスト)に、料金取るからと、突っ込まれていて、
仲の良さが伝わりました。
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10 匿名 (17/05/14(日)04:21:30 ID:umDpY8GC.) 
JUNONの92年暮れぐらいの号の、3ページ目です。(スレ画のトリミング前です。)
2ページ目は、後で載せます。

オールナイトニッポンGOLDの感想の続き。リスナーからのメールで、
「芸能界を辞めたくなるほど悩んだ事はありますか?」という質問に対し、
いつでも辞める覚悟で仕事しているし、仕事の結果に対してあまり期待していないので、
がっかりする事はないから、悩んだ事は無いと答えていました。
芸能界で長く活躍している秘訣を、聞いた思いがしました。
髪を無断でショートカットにした時代から、考え方が変わっていないキョンキョンに、
関心しました。また、同じような考え方をする人が、長く芸能界で活躍しているとも、
言っていました。芸能界は、50代の自分と10代の若者が、対等な立場で仕事をしている世界。
自分も10代の頃は、ドラマで諸先輩方と対等な立場で扱われていた。その諸先輩方から、
大事な事を色々教わったので、今の若い人達が困っている時は、助けてあげたいと。
キョンキョンが、後輩の女優達に慕われる理由が分かる気がします。
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11 匿名 (17/05/18(木)03:54:58 ID:yIHE5qd22) 
ザ・テレビジョンの92年10月?号の、1ページ目です。
2時間半(正味2時間ぐらい)ドラマ「ヒマラヤの赤い自転車」の特集が、
3ページに渡って、載っています。
撮影は92年4月〜で、連ドラ「あなただけ見えない」の後、まもなくヒマラヤロケに行きました。
それが10月に放送されるので、テレビ出演が長く途絶える形になり、
エイズ騒動の一因になりました。
ちなみに、エンドクレジットに流れる主題歌には、2ショットをフライデーされた
藤井尚之作曲(作詞は小泉今日子)の、「風になりたい」が使われています。

80年代板にも書きましたが、35周年記念ベストアルバム買ってきました。
売りである特典本は、364ページもあるので読むのに時間がかかります。
90年代は198ページ目からなので、印象的な事を書くのは、かなり先になるでしょう。
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12 匿名 (17/05/18(木)04:28:35 ID:yIHE5qd22) 
ザ・テレビジョンの92年10月?号の、2ページ目です。
このドラマの主演を引き受けたのは、
前スレ25(http://1990s.harikonotora.net/img/481-25.jpg)で載せた、
子役の井崎充則と共演したかったからだそうです。
過酷な猛暑や生水のせいで、バタバタとスタッフが倒れていく中でも、元気なキョンキョン。
その元気は、「こんなに埃だらけになるのなんて中学でソフトボールをしていたとき以来。
 ホテルに帰ってお風呂に入るのが楽しみ。」という前向きな姿勢だけでは、保てません。
「私まで倒れてしまったら、撮影できなくてみんなに迷惑がかかるでしょ。
 だからロケが終わるとすぐホテルに戻って眠るようにしていた。観光は二の次。」
という主演女優としてのプロ意識があるから、努力出来るのでしょう。
病気で倒れる事が、キョンキョンのキャラに相応しくない事を知っている小泉今日子は、
見えない所で努力する人です。努力という言葉も、キョンキョンには相応しくありません。
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13 匿名 (17/05/18(木)04:53:33 ID:yIHE5qd22) 
ザ・テレビジョンの92年10月?号の、3ページ目です。
ネパールの大自然が、日本の原風景を思わせ、「懐かしい」と感じる小泉今日子。
幼い頃の記憶をいつまでも大切にしているから、そう感じる事が出来るのでしょう。
そんな大自然の中で暮らす人々の目を見て、「かわいい」と思うキョンキョン。
この「かわいい」の意味は、純粋な目をしているという事でしょう。
キョンキョンがネパールの良さをアピールしたため、その後、日本人観光客が増え、
その日本人観光客が、ゴミを平気で捨てている事を知って、がっかりしたそうです。
現地の青年海外協力隊が、大変な状況で働く姿を目のあたりにしているからこそ、
余計に落胆したのでしょう。
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14 匿名 (17/05/22(月)03:35:52 ID:QgZ4PUrbM) 
フラシュの92年10月頃の号の、1ページ目です。
記事は、映画「病は気から」についてですが、他の雑誌にも沢山載っているので、
ここでは、上のカットに載っている2時間ドラマ「華岡青洲の妻」について。
もちろん久世光彦演出のドラマです。華岡青洲役の三浦友和について、
真剣な表情で冗談を言うので、吹き出してしまったと、この頃言っていました。
2006年の映画「転々」で再共演した時は、舞台挨拶で、小さい頃憧れていたと、
正直に言っていました。百恵&友和映画は、必ず見に行っていたそうです。
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15 匿名 (17/05/22(月)03:56:14 ID:QgZ4PUrbM) 
フラシュの92年10月頃の号の、2ページ目です。
キョンキョンらしい爽快な笑顔は、健在です。
91年に「あなたに会えてよかった」が、これまでトップだった「迷宮のアンドローラ」の
3倍近くを売り上げる、自己最高のミリオンセラーを記録しました。
普通なら92年は、歌手活動を重点的に行うはずですが、そうしないところが、
いい意味でファンを裏切る事が大好きなキョンキョンらしいです。
シングルのリリースは「自分を見つめて」の1枚のみ。アルバムもミニアルバムのみです。
女優として、連ドラ「あなただけ見えない」、スペシャルドラマ「ヒマラヤの赤い自転車」
「華岡青洲の妻」、映画「病は気から」と、大活躍しました。
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16 匿名 (17/05/26(金)03:25:18 ID:HL7pi0YG2) 
出典不明(忘れた)の女性雑誌の、92年暮れぐらいの号に、
キョンキョンのCMについての記事が、6ページに渡って載っています。その1ページ目です。
クノール・カップスープのCMは、デカパジャマのような庶民的な可愛らしさのあるCMから、
イカ天でデビューしたフライング・キッズと共演し、シングル「見逃してくれよ」の元になった、
弁当向上委員会のCMで、流行語の発信源となりました。
その庶民性や流行語の発信源に、コント色をプラスしたのが、
「グッドモーニング、バッドモーニング」のCMです。
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17 匿名 (17/05/26(金)03:54:35 ID:HL7pi0YG2) 
出典不明の女性雑誌の、92年暮れぐらいの号の、2ページ目です。
7バージョンある「グッドモーニング、バッドモーニング」のCMは、
日常ありそうな出来事を元にしているため、最後の決めゼリフとともに受けたのでしょう。
15秒という短いCMの時間内に、日常ありそうな出来事のストーリーを簡潔に纏め、
落ちを付けて、それが決めゼリフとなる作りは、コイズミCMの中でも代表作と言えるものです。
こういうコント風のCMは、賞の対象になりにくいですが、話題性抜群であり、
CM好感度より商品喚起力の高い、初代CMクィーンのキョンキョンにピッタリです。
松田聖子や中森明菜のように、手の届かないスターの座を目指すのではなく、
忙しいアイドル業をしながらも、私生活では、普通人の生活を送ろうと努力していた小泉今日子
だからこそ、このようなCMを生み出す事が出来たのだと思います。
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18 匿名 (17/06/01(木)04:51:53 ID:zzJ9nUtx2) 
出典不明の女性雑誌の、92年暮れぐらいの号の、3ページ目です。
ビクターの田村ディレクターとは長い付き合いなので、
「彼女は努力の人ではないと思う」と言う表現をしていますが、
努力を表面に見せない人だという事が分かっているので、こう表現したのでしょう。
この頃は毎年、人間として成長するための目標を決めて、それに向かって努力していました。
広告批評の編集長の島森路子さんは、93年初に放送されたMJの小泉今日子特集にも
出ていました。「顔をおもいっきりグシャッと崩した時のチャーミングさは、
マネしようったってできませんからね。」と言っていますが、小泉今日子本人は、
「顔が崩れるギリギリ手前の線で、表情を作っている」と、コイズミ・イン・モーションで
言っていました。10年以上トップアイドルとして走り続けている経験で、
そんな高等技術が身に付いたのでしょう。
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19 匿名 (17/06/01(木)05:21:20 ID:zzJ9nUtx2) 
出典不明の女性雑誌の、92年暮れぐらいの号の、4ページ目です。
JR東日本の「答えは15秒後」のCMも、斬新でした。
この当時のCMスタッフのやる気と情熱は、本当に素晴らしかったと、
現在の小泉今日子が、振り返っていました。
CM自体の発想が素晴らしいだけでなく、JR東日本のCMとCMの間に他の15秒CMを
必ず入れなければならず、テレビ局の編成との交渉も大変だったと思います。
CM好感度より商品喚起力の高い、初代CMクィーンのコイズミCMだからこそ、
テレビ局の編成も、協力的だったのでしょう。
「パンダのアンアン」では、1秒の世界と題して、CMについて書いています。
15秒CMに慣れるためには1秒短くする訓練が必要で、1ヶ月間CMばかり撮っていた時期には、
1秒の世界を知る強化合宿をしている気分だったそうです。
「この先、何かの役に立つかしら」と書いていますが、宮藤官九郎脚本の急テンポのドラマや、
中井貴一との掛け合いが抜群だった「最後から二番目の恋」で、活かされていると思います。
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20 匿名 (17/06/05(月)04:02:38 ID:aZXXtOeuQ) 
出典不明の女性雑誌の、92年暮れぐらいの号の、5ページ目です。
スーパーマイルドシャンプーのCMは、10年近く続きました。
化粧品と合わせると、資生堂のCMには20年近く出ている事になります。
他にも、クノール・カップスープ、ベンザエース、JR東日本、午後の紅茶と、
5年以上続いたCMが多いのが、コイズミCMの特徴です。
気軽に他社から買い換えられる商品が多いため、商品喚起力の高いコイズミCMによって、
買い換えた人が多いと思います。私も、スーパーマイルドシャンプーに買い替えました。
反対に、気軽に他社から買い換えられない値段の高い商品のCMには、
三菱エアコン・霧ヶ峰、オートザム・レビュー(車)、ホンダ・スタンドアップタクト等が
ありましたが、いずれも2〜3年で終了しています。
どういう商品がタレントCMに向いているか、コイズミCMが教えてくれている気がします。
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21 匿名 (17/06/05(月)04:24:27 ID:aZXXtOeuQ) 
出典不明の女性雑誌の、92年暮れぐらいの号の、6ページ目です。
最後のページは、4年ぶりの主演映画「病は気から 病院へ行こう2」についての記事です。
「私にしか演れないと思います」
末期癌の告知で落ち込んでいたヒロインが、その癌を売りにしてCMクィーンへ上り詰めていく役。
確かに、初代CMクィーンのコイズミにしか、許されない役です。
どんなに上手い女優でも、この役柄を演じれば、嫌味に見えるでしょう。
まだ本格的な女優になる前の小泉今日子ですが、ドラマ「あなただけ見えない」で共演した
三上博史や、映画「快盗ルビイ」で共演した真田広之という、気心の知れた共演者に恵まれ、
元気一杯の国民的アイドルとして、のびのび演じているので、嫌味には見えず、
コメディとして成立していると思います。
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22 匿名 (17/06/11(日)04:52:19 ID:e8pNHZfUI) 
ザ・テレビジョンの92年暮れぐらいの号の、1ページ目です。
4ページの内、最初の2ページは主演映画「病は気から 病院へ行こう2」の記事&グラビアです。
主演映画で主題歌を歌わないのは、4本目のこの映画が初めてでした。
主題歌「愛があれば大丈夫」は、1年後に「ロマンスの神様」が
ミリオンセラーになる広瀬香美のデビュー曲です。
最初は「愛があれば大丈夫」は、他の人が歌う事になっていたと広瀬香美が言っていました。
もしかしたら小泉今日子用に作った曲かも知れません。
80年代のキョンキョンにはピッタリの元気が出る歌ですが、
90年代に入って、自らの作詞で等身大の歌を歌うようになった小泉今日子には、
合わなかったのかも知れません。
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23 匿名 (17/06/11(日)05:15:20 ID:e8pNHZfUI) 
ザ・テレビジョンの92年暮れぐらいの号の、2ページ目です。
主題歌は歌わないけれども、劇中で歌は歌っています。
癌を売りにしてCMクィーンへ上り詰めた主人公は、本物のキョンキョンのように、
雑誌の表紙を飾り、テレビのインタビューを受け、コンサートも開くという人気アイドル扱い。
普段は引っ込み思案で、カラオケで好きな曲「オリビアを聴きながら」がかかっても
歌えなかった主人公が、コンサートでその曲を歌います。それが右上の写真です。
杏里のオリジナル同様、スローテンポで歌い始めますが、途中でアップテンポのロック調になり、
まるで本物のキョンキョンのコンサート同様、ノリノリのステージになります。
引っ込み思案だった主人公が、弾ける姿を見せたかったのでしょう。
そのシーンの撮影時には、キョンキョンファンが1000人協力し、
コンサートホールで声援を送るエキストラとして活躍したそうです。
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24 匿名 (17/06/15(木)03:53:27 ID:LzSwW.I3M) 
ザ・テレビジョンの92年暮れぐらいの号の、3ページ目です。
かくし芸大会の「病は気から 病院へ行こう2」のパロディーコントの記事です。
こちらは、看護婦役。セットが大掛かりで、派手な演出がお正月番組らしかったです。
パロディーコントの出来としては、
「とんねるずのみなさんのおかげです」の方が、面白かったですが。
テレビ局が作る昨今の映画では、そのサイドストーリーとして、
ミニドラマを作る傾向がありますが、フジテレビ制作の「病は気から 病院へ行こう2」が、
コント版とは言え、そのハシリだった気がします。
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25 匿名 (17/06/15(木)04:30:52 ID:LzSwW.I3M) 
ザ・テレビジョンの92年暮れぐらいの号の、4ページ目です。
93年1Qのドラマ「愛するということ」の記事が中心のページです。
前半は、緒形直人がしつこく小泉今日子を追いかける「恋愛ターミネーター」ぶりが、
話題になりました。その前半は、この写真のように地味な髪型の小泉今日子ですが、
後半、緒形直人を好きになってからは、束ねていた髪を解き、
思わず見惚れてしまうほど美しい小泉今日子の表情に変身します。
ドラマの流れを汲んだ表情の変化に、小泉今日子の女優魂を感じました。
緒形直人と小泉今日子は、今で言うダブル主演ですが、謙虚な小泉今日子は、
クレジットタイトルで、最後に名前がクレジットされています。
90年代前半の連ドラでは、89年末の「愛し合ってるかい」を始め、「あなただけ見えない」
「僕が彼女に借金をした理由」と、「パパとなっちゃん」(2番目にクレジット)以外はすべて、
最後に名前がクレジットされていました。
90年代に入ってから、最初に名前がクレジットされる連ドラは、
結婚後の、「まだ恋は始まらない」が最初というのは意外な感じがしますが、
歌手と女優を両立させていた小泉今日子が、俳優専門の相手役を立てていたからだと思います。
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26 匿名 (17/06/19(月)03:12:53 ID:J9gZaxO3M) 
NONNOの92年暮れぐらいの号の、1ページ目です。
この年の暮れは、4年ぶりの主演映画「病は気から 病院へ行こう2」のPRのためか、
女性誌を中心とした雑誌に、インタビューが多数載っていました。
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27 匿名 (17/06/19(月)03:44:07 ID:J9gZaxO3M) 
NONNOの92年暮れぐらいの号の、2ページ目です。
「小さいころから、おしゃれとか服のセンスに全然自信がなくて、
 買い物に行ってもいつまでも選べなくて...」
2000年の深夜番組で、自分が着る服をデザイナー3組にオーダーして、
その中から選ぶ時も、「やーだ、決められない。」と悩んでいました。
ファッションへのこだわりがないからこそ、どんな服でも自分の解釈で着こなせたのでしょう。
上手く着こなそうとか、綺麗に撮られたいとかの欲が無く、その服を着た時シチュエーションを、
頭の中で想像しながら着る事が、小泉流の着こなし方です。
「逆に、洋服なんかで判断されちゃたまらない、って感じ。」
男前な発言です。先日、亡くなられた野際陽子さんも、男前な人だったそうです。
今後の小泉今日子は、野際陽子さんのような女優になるのかも知れません。
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28 匿名 (17/06/23(金)03:23:03 ID:giuNBWjFI) 
NONNOの92年暮れぐらいの号の、3ページ目です。
体感時間を短く感じる事が、若さを保つ秘訣のようです。
同じ事をおっしゃった、大ベテランの女優さんは、
久世ドラマで度々共演している森光子さんかも知れません。
「以前は自分も早く大人にならなきゃ」。
デビュー1周年の手記では、「早く大人になりた〜い」と書いていました。
(その内、80年代板の方に載せます。)
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29 匿名 (17/06/23(金)04:22:35 ID:giuNBWjFI) 
NONNOの92年暮れぐらいの号の、4ページ目です。
「透き通るくらいに壊れそうな人。」を、いい女だと思っても、自分のタイプじゃなく、
「精神的にたくましい人。」に憧れる小泉今日子。
「すごく意地悪なところとか、イヤなところとかを隠さずに、自分の魅力に加えたい。」
国民的アイドル・キョンキョンのイメージが浸透していた時期なので、
これを実現するのは、容易ではありませんでした。
この時期、映画デビュー作「10階のモスキート」の監督の崔洋一から、
汚れ役のオファーがありましたが、断念しました。
2000年代の主演映画「風花」や「靴中庭園」等で、徐々に実現していったと思います。
10代の頃は自分を奮い立たせるために、反抗心を燃やして、理想の女の子像を作って行きました。
それが完成して20代を迎えると、反抗心の裏にあった普通の女の子への憧れが強くなり、
プライベートを充実させて行きました。「アイドルとしての虚像の自分と、一人の女性としての
実像の自分を、これまでじっくり育ててきて、今その両者を一つに結びつけてしまった。」
小泉今日子だからこそ、「今は悔いのない生き方が出来ているから。」と自信を持って言える
のでしょう。その裏には、いつ(芸能人を)辞めてもいい、と言う感覚が常にあります。
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30 匿名 (17/06/27(火)03:42:33 ID:iqoQU3WO6) 
NONNOの92年暮れぐらいの号の、5ページ目です。
27で言っている、「雪の中に立っている」イメージで撮ったカットです。
ちなみに、26は「人形になった気分」、27〜28は「外国人」をイメージしています。
自分だけのストーリーを考えながら撮影されているそうですが、
ちゃんとそのイメージが伝わってきます。
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31 匿名 (17/06/27(火)04:11:36 ID:iqoQU3WO6) 
JUNONの92年暮れぐらいの号の、2ページ目です。(1ページ目は、9に載せています。)
当時フジテレビで、映画「病は気から 病院へ行こう2」のメイキング番組を
放送していましたが、真田広之や三上博史と、本当に仲良く見えました。
真田広之とは、この後94年のドラマ「僕が彼女に借金をした理由」でも共演しています。
三上博史とは、映画のキャンペーンで全国を回ったそうです。
この後、93年の三上博史主演ドラマ「チャンス」に、キョンキョンがゲスト出演しています。
この二人に、映画について色々教わり、結婚してからは永瀬正敏に教わったので、
2000年代は、映画の仕事を増やしたのかも知れません。
「宝島で連載やってたのが本になる」。それが「裏小泉」です。
この後、載せていこうと思います。
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32 &◆PYWLuHkhtw (17/06/28(水)19:02:02 ID:sywqUFsZA) 
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33 匿名 (17/07/01(土)03:49:51 ID:jlnVkwgV.) 
JUNONの92年暮れぐらいの号の、4ページ目です。(3ページ目は、10に載せています。)
また文章がアップ出来なかったので、jpg画像にして次に貼ります。
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34 匿名 (17/07/01(土)03:53:53 ID:jlnVkwgV.) 
↑33の文章を、jpg画像にしました。
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35 匿名 (17/07/01(土)04:59:41 ID:jlnVkwgV.) 
JUNONの92年暮れぐらいの号の、4ページ目です。
がんに対しても前向きな発言をしている、コイズミらしい笑顔のアップです。

>> 32
「裏小泉」の事を書いたら、早速38ページ目のオリジナルスキャンをして下さり、
ありがとうございます。
月刊誌の頃の宝島の連載の、3回目の前半です。
小泉今日子無責任編集と書いてある「裏小泉」の編集をしたのが、
ここに載っている「あたしのロリポップ」を訳詞しているウディ川勝こと、川勝正幸さん。
惜しくも2012年に亡くなっています。小泉今日子が、エッセイ集「黄色いマンション 黒い猫」
で、1章を割いて追悼している事は、前にも書いた通りです。
(興味のある方は、スレ画に書いてある前々スレを開いて、67を見て下さい。)
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36 匿名 (17/07/05(水)03:46:30 ID:hQ4FWC3Cs) 
↑35の訂正:4ページ目→5ページ目

JUNONの92年暮れぐらいの号の、6ページ目です。
今年のテーマを決めて、公に公開していたのは、この年までだったと思います。
92年のテーマ「人にまかせられることはまかせよう。」
歌手としては、プロデュースや作詞も自分で行っているので、人に任せられる部分が多い
女優業をメインにしたのでしょう。
現在、制作会社「明後日」を作っていますが、今年の舞台は出演せず、
演出も出演も、人に任せています。
3年ぐらい前のテレビの対談番組で、中井貴一に、小泉今日子はディレクター向きではなく、
プロデューサー向きだと言われていましたが、その通りの仕事になってきました。
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37 匿名 (17/07/05(水)04:08:38 ID:hQ4FWC3Cs) 
WHAT's INの92年暮れくらいの号の、1ページ目です。
女優業をメインにした92年だったので、歌手業としては、シングル「自分を見つめて」と、
このミニアルバム「Banbinater」のリリースだけでした。
Koizumix Production名義にしているのは、自らの作詞で等身大の歌を歌う小泉今日子とは
別の路線だという事を、はっきり宣言するためです。
プロデューサー小泉今日子の才能が、ハッキリ出ているアルバムになりました。
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38 匿名 (17/07/09(日)05:02:54 ID:T8.jGi3pU) 
WHAT's INの92年暮れくらいの号の、2ページ目です。
ミニアルバム「Banbinater」のネーミングは、イタリアに行った時「バンビーナ」と呼ばれる事が
きっかけとなり、イタリア語の「Banbinata」(子供っぽい)と、ターミネーターを合わせた
造語です。前年「ターミネーター2」が大ヒットしていました。
ここんところ優等生っぽかったので、不良っぽい事したくなっちゃって。と言っています。
この後始まる93年1Qのドラマ「愛するということ」では、
「普通のOL役で地味な服ばっかり着ていたので、派手な服を着たくなった。」と、
93年4月頃のミュージックステーションに出演した時、松田聖子に言い、肯いていました。
それと似た心境なのでしょう。
スリーディグリーズは、子供の頃に「夜のヒットスタジオ」で見て、好きだったようで、
夜ヒットの最終回(ゲストが過去のVTRをリクエストする)では、スリーディグリーズを
1押ししていました。
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39 匿名 (17/07/09(日)05:32:28 ID:T8.jGi3pU) 
WHAT's INの92年暮れくらいの号の、3ページ目です。
FM番組「コイズミ・イン・モーション」の構成や、「裏小泉」の編集をした川勝正幸さんが、
紹介した同世代のアーティストたちと仲良くなり、それが形となって表れたのが
このミニアルバム「Banbinater」です。
インストと、カバー曲「東京ディスコナイト」以外は、すべてリミックス版のベストアルバム
「17.89-99 collection」( Koizumix Production名義)に収録されています。
リミックス版の出来が良かった曲が多いのでしょう。
特に「華麗なる休暇」は、オリジナル版のフレンチ・ポップス調の曲も良く、
リミックス版(93年発売)も良かったです。イントロは、95年のglobeのデビュー曲
「Feel Like dance」に似ていて、小室哲哉が参考にしたかも知れません。
コイズミのボーカルを、わざと音程外したリミックスにしています。
何でもありの、コイズミにしか出来ない遊び心を感じました。
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40 匿名 (17/07/13(木)03:42:43 ID:5qZQ1Ol4I) 
出典不明(忘れた)の雑誌の92年暮れぐらいの頃の、1ページ目です。
ここに書いてあるように、カバー曲アルバム「ナツメロ」と同じようなアルバムです。
アレンジが際立ち、遊び心もいっぱいという感じ。
「ドラマの撮影に行ったら、そこで楽しい事を見つけるし、歌の仕事でも、
 コマーシャルの仕事でもそれは同じでね。」
2013年の「あまちゃん」に続いて始まるトーク番組に出演した時、秋元康のインタビューで、
史上最強のアイドルとして「小泉今日子」を挙げ、少女っぽい気持ちや遊び心を、
今でも持ち続けているから。とその理由を説明していました。
このインタビューも、アイドル歴10年の極意を語っているような内容です。
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41 匿名 (17/07/13(木)04:00:15 ID:5qZQ1Ol4I) 
出典不明(忘れた)の雑誌の92年暮れぐらいの頃の、2ページ目です。
小山田圭吾は、フリッパーズ・ギター時代に、小沢健二とともにコイズミ・イン・モーションに
出ていました。東京スカパラダイス・オーケストラや、スチャダラパーも、
コイズミ・イン・モーションに出演して、仲良くなった人達です。
93年のJR日本のCMでは、小沢健二と一緒に出演し、「潮風の歌」をデュエットしていました。
権利関係がクリアされていないためか、未だにその音源がCD化されていないのが残念です。
デュエットと言えば、このアルバムでは、フライング・キッズの浜崎貴司とデュエットしています。
とても別録りだったとは思えないような、息のあった二人の囁きが聞ける曲です。
94年のドラマ「僕が彼女に借金をした理由」では、役者としても共演しています。
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42 匿名 (17/07/17(月)04:21:33 ID:E5oqwNobA) 
92年12月10日発行のムック本「裏小泉」の、表紙カバーです。
このナスの着ぐるみは、久本雅美から借りました。
当時は、ナスの着ぐるみを着る関西仕事でも、気取った表情を心がけた。
と言っていました。確かに、表情は真面目な感じです。
しかし、このカットの撮影前日に恋人と別れたキョンキョンは、着ぐるみを着た自分を見ながら、
「こんなナーバスな気分の時に、こんな撮影をするとは、私らしいなぁ。」
と感じた事を、後のテレビ番組「ショコラ」で語っていました。
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43 匿名 (17/07/17(月)04:35:01 ID:E5oqwNobA) 
ムック本「裏小泉」の、0ページ目です。
ページ数が書いてあるこの本の、1ページ目の前のページになります。
「alternative works」本流ではない仕事という意味です。
この本の内容・構成は、後のページに説明が書いてあります。
表紙カバーに書いてある「小泉今日子無責任編集」という言葉が、
92年のテーマ「人にまかせられることはまかせよう。」を実践しています。
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44 匿名 (17/07/22(土)03:17:15 ID:yr17nLjHQ) 
ムック本「裏小泉」の、1ページ目です。
タイトル文字だけが、大きく載っている1ページ目です。
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45 匿名 (17/07/22(土)03:19:26 ID:yr17nLjHQ) 
ムック本「裏小泉」の、2ページ目です。
大きく書いてある「裏ピース」の意味は、次のページで本人が説明しています。
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46 匿名 (17/07/22(土)03:50:57 ID:yr17nLjHQ) 
ムック本「裏小泉」の、3ページ目です。
キョンキョンは、ピースサインが好きでした。歌番組に出演していた頃、
歌の前のインタビューの時に、ちょっと遠慮しがちにピースサインを出しているキョンキョンは、
本当に楽しそうでした。
この文章では、正面切っての大ピースサインが、シングル曲やドラマ・CM・バラエティー出演と
いうメジャーな仕事の事を言っていて、裏ピースサインが、アルバム曲やコンサート・雑誌や
写真集での奇抜なファッション等を言っています。
10代の頃は、裏ピースサインを受け止めてくれる人が少なかったと言っています。
ファンの先を行くアイドルとして有名だった頃だと思います。
89〜92年に、裏ピースサインの仕事が充実していたのは、正面切っての大ピースサインが
国民的アイドルにまで上り詰めた反動かも知れません。時期としては、見事に重なっています。
その「小泉今日子やんちゃ時代」があったからこそ、過去の栄光に頼る事なく、
現在でも活躍し続ける事が出来ていると思います。
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47 匿名 (17/07/26(水)03:45:29 ID:vNCCYpUR6) 
ムック本「裏小泉」の、4ページ目(目次の1ページ目)です。
この本には、コンサート会場でしか売っていないコンサートツアーのパンフレット3回分
(89年、90年、91年)が載っていて、正に裏のコイズミを見る事が出来ます。
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48 匿名 (17/07/26(水)03:56:43 ID:vNCCYpUR6) 
ムック本「裏小泉」の、5ページ目(目次の2ページ目)です。
雑誌「宝島」の連載が、メインになっている本です。
その内、テレクラ名言辞典・コイタイ・FMスナイパー・人生手帳の4回が、
FM「コイズミ・イン・モーション」のゲストとの対談を、活字化した回です。
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49 匿名 (17/07/30(日)04:02:54 ID:al.x1FbgQ) 
ムック本「裏小泉」の、6ページ目です。
雑誌「宝島」(当時は月刊)の連載24回分と、コンサートツアーのパンフレット3回分を
纏めた本であり、「小泉今日子やんちゃ時代」の紙による記録である事を説明しています。
「裏仕事」が「表」になっていく過程は、「コイズミ・イン・モーション」を毎週欠かさず、
聞きながら録音していたので、良く分かります。
Koizumix Production名義になっていますが、この文を書いているのは、
編集の川勝正幸さんでしょう。
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50 匿名 (17/07/30(日)04:12:37 ID:al.x1FbgQ) 
ムック本「裏小泉」の、7ページ目です。
今年の目標の「スーパーウルトラハード」は、89年のコンサートツアータイトルでもあります。
このツアーは、キョンキョン自身がプロデュースしています。
「わからない人はついてこないでよろしい。」という「裏仕事」の精神で、
コンサートツアーのパンフレットも作られています。
次回からそのツアーパンフを載せますが、横長版を縮小して、
左下で説明されているように載っているので、@→A→B→Cの順に載せて行きます。
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51 匿名 (17/08/03(木)04:31:47 ID:zXHtQf.8k) 
ムック本「裏小泉」の、9ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、1ページ目になります。
1ページ目から、アーティスティックなデザインになっています。
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52 匿名 (17/08/03(木)04:36:45 ID:zXHtQf.8k) 
ムック本「裏小泉」の、8ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、2ページ目になります。
キョンキョンは、映画「快盗ルビィ」のポスターに小さく映っているだけです。
「わからない人はついてこないでよろしい。」と言う
裏コイズミの声が聞こえてきそうなページです。
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53 匿名 (17/08/09(水)20:19:03 ID:b502hpn/U) 
ムック本「裏小泉」の、8〜9ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、3〜4ページ目になります。
最初は2ページ連結しないつもりだったので、繋ぎ部分が少し削れています。
これは、2ページ連結しないと、文章が繋がらなくなりますからね。
パリが好きなKYON2を意識した文章と、「地下鉄のKYON2」は、もちろん創作です。
編集の川勝正幸さんの趣味かも知れません。
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54 匿名 (17/08/09(水)20:25:45 ID:b502hpn/U) 
ムック本「裏小泉」の、11ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、5ページ目になります。
これも本当は、次のページと繋いだ方がいいかも知れませんが、
繋げると文字が小さくなるので、そのままにします。
キョンキョンがうさぎ飛びをしているのは、次のページで、
巨大な磁石を持っているから。という設定です。
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55 匿名 (17/08/09(水)20:29:14 ID:b502hpn/U) 
ムック本「裏小泉」の、10ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、6ページ目になります。
よく見ると、後ろのマネキンの格好をしているのも、キョンキョンのようです。
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56 匿名 (17/08/13(日)03:55:42 ID:NOeyetFL.) 
ムック本「裏小泉」の、11ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、7ページ目になります。
創作文章の最後から次のページにかけて出てくる、ジム・ジャームッシュ監督の映画は、
「ミステリー・トレイン」でしょう。もちろん、永瀬正敏を一躍有名にした映画です。
キョンキョンが永瀬正敏と出会うのは、この4年後。運命を感じる創作文章です。
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57 匿名 (17/08/13(日)04:18:45 ID:NOeyetFL.) 
ムック本「裏小泉」の、10ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、8ページ目になります。
「ある少女歌手」は、工藤夕貴の事です。その後ハリウッド女優にまで上り詰めた努力家です。
小泉今日子とは正反対のタイプかも知れません。真面目すぎて、
アイドル時代はテレビ番組で、数々のエピソードを残しています。
最近の小泉今日子がインタビューで、「私は、歌も演技も下手なので、海外進出は考えず、
日本でコツコツやってきたから、長く芸能界にいられるのかも知れない。」と
語っていた事を、工藤夕貴から連想しました。
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58 匿名 (17/08/17(木)02:23:45 ID:hmxDsxQgY) 
ムック本「裏小泉」の、13ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、8ページ目になります。
「地下鉄のKYON2」ダイナマイト編も創作で、遊び心たっぷりのツアーパンフです。
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59 匿名 (17/08/17(木)02:33:17 ID:hmxDsxQgY) 
↑58のの訂正:スーパーウルトラハード」の、8ページ目→9ページ目

ムック本「裏小泉」の、12ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、10ページ目になります。
ダイナマイトの長回しは嘘でしょうが、同時期に発売されたビデオ
「KYONGKING HONGKONG」では、香港でワイヤーアクションに挑戦しています。
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60 匿名 (17/08/21(月)04:28:09 ID:kbTf.N/Uo) 
ムック本「裏小泉」の、13ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、11ページ目になります。
kyonの二乗と書いてkyon kyonと読むのは、海外では通じないでしょうね。
BB(ブリジット・バルドー)や、CC(クラウデゥア・カルディナーレ)のように、
キョウコ・コイズミは、KKと呼ばれるはずです。
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61 匿名 (17/08/21(月)04:45:02 ID:kbTf.N/Uo) 
ムック本「裏小泉」の、12ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、12ページ目になります。
この頃は、カンヌ映画祭には縁の無かった小泉今日子ですが、
後に「トーキョーソナタ」で、カンヌ映画祭のレッドカーペットを歩いています。
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62 匿名 (17/08/25(金)04:06:51 ID:SuNiNyG1U) 
ムック本「裏小泉」の、15ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、13ページ目になります。
編集の川勝正幸さんの60年代カウンターカルチャー好きと、
小泉今日子の60年代好きが一致して、このようなツアーパンフになったのかな、と思います。
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63 匿名 (17/08/25(金)04:11:01 ID:SuNiNyG1U) 
ムック本「裏小泉」の、14ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、14ページ目になります。
ツアーパンフは、次のページから違う内容になるので、ここで一休みし、
次回からは、雑誌の記事を載せて行きます。
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64 匿名 (17/08/29(火)03:49:12 ID:gqrFgjy0.) 
月刊カドカワの93年2月号の、目次です。
90年の月刊カドカワでは、歌手・小泉今日子を総力特集していましたが、
この号では、前年に女優業を増やしたため、女優・小泉今日子を総力特集しています。
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65 匿名 (17/08/29(火)03:59:39 ID:gqrFgjy0.) 
月刊カドカワの93年2月号の、1ページ目です。
直筆で書いてある言葉は、映画「病は気から 病院へ行こう2」のメッセージであると同時に、
悔いのない生き方をしてきた小泉今日子だから、言える言葉です。
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66 匿名 (17/08/29(火)04:13:21 ID:gqrFgjy0.) 
月刊カドカワの93年2月号の、2ページ目です。
「飾らない誇り」というタイトルは、小泉今日子にピッタリだなと思います。
どんなに芸歴が長くなっても、偉そうな態度が一切無く、
常に自然体です。それは、50代になった今でも同じです。
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67 匿名 (17/09/03(日)04:19:12 ID:drs0RO7bQ) 
月刊カドカワの93年2月号の、3ページ目です。
70年までは、歌手・女優・バラエティタレント・グラビア系等、
芸能人は分業制でした。アイドル歌手が誕生した71年から、次第にアイドルが、
歌手・女優・バラエティ・グラビア等、全てを一人でこなすようになり、
アイドル全盛期の80年代は、そのピークとなります。
アイドル冬の時代が到来するとともに、再び歌手・女優・バラエティタレント・グラビア等の
分業制が再開します。70年までとの違いは、アイドル歌手・アイドル女優・
バラエティアイドル(バラドル)・グラビアアイドルと、「アイドル」という冠が付く事です。
「昔の女優さんはみんなに夢を求められて、それを背負って、すごく辛かったんじゃないかな。」
70年までの、人気歌手・人気女優は、「スター」と言う手の届かない存在だったので、
そんな感想をキョンキョンは抱いているのでしょう。アイドル全盛期の80年代を牽引していた
キョンキョンは、手の届かない存在だったスターを、同世代の女の子が共感するアイドルへ、
持っていった最後の功労者とも言える存在なので、「「同感、同感」って感じで私の事見てる。」
という感想は、キョンキョン自身が成し遂げた結果です。
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68 匿名 (17/09/03(日)04:35:25 ID:drs0RO7bQ) 
月刊カドカワの93年2月号の、4ページ目です。
元気で活発なイメージのアイドル・キョンキョンの素顔は、内気で引っ込み思案な少女、
小泉今日子でした。そんな小泉今日子は、恥ずかしがり屋で、感情を表に出す事もありません。
その小泉今日子が、内にこもった感情を、表に出してもいい職業が女優だという事を知り、
小さい頃に漠然と好きだった女優を、職業として好きになって行きました。
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69 匿名 (17/09/07(木)04:00:59 ID:UDvIFUwI6) 
月刊カドカワの93年2月号の、5ページ目です。
小学校高学年〜中学生の頃にやっていた「女優さんごっこ」。
台詞を声に出して読んだり、カセットテープに録音したりした経験が、
小泉今日子の説得力のあるナレーションに繋がっていったのかも知れません。
恩師である演出の久世光彦から言われた、声を出して新聞を読む練習の成果もありますが。
デビューから5年間ぐらいは、音楽が理解出来ず、怖くてたまらなかったそうです。
(そんな風には見えないところが、キョンキョンの凄いところだと思いますが。)
そんな悩みは、女優業では一度もなかったそうなので、やはり女優に向いているのでしょう。
リハーサルを重ねて良くなるタイプもいますが、キョンキョンは本番に強いタイプ。
後に舞台の仕事が多くなるのも、本番に強いタイプだからでしょう。
「女優として悩む事があるとすれば、これからじゃないかなと思います。」
2000年代の主演映画「風花」「空中庭園」等は、
主演女優として悩みぬいた末に出来上がった作品です。
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70 匿名 (17/09/07(木)04:16:14 ID:UDvIFUwI6) 
月刊カドカワの93年2月号の、6ページ目です。
久世光彦演出の最初の主演ドラマ「明日はアタシの風が吹く」で、
主演女優としての心構えを、久世光彦に叩き込まれました。
恩師・芸能界の父親と、久世光彦の事を言っているのは、毎日怒られた経験からでしょう。
最近のドラマの現場では、怒る演出家がいなくなって、若手は可哀想だと言っています。
主演女優としての自覚が出てきた小泉今日子の事を、映画「病は気から 病院へいこう2」で
共演した真田広之は、見抜いていました。4年前に共演した「快盗ルビィ」と比べて、
心構えの違いが、良く分かったのでしょう。
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71 匿名 (17/09/11(月)04:50:36 ID:9qoL22SBc) 
月刊カドカワの93年2月号の、7ページ目です。
「お芝居以外でもね、自分じゃなきゃこうやれないって思うことをやりたい。
 私でなくてもいいのなら、やらなくていいんだもんね。」
仕事に対するこういう姿勢が、他のアイドルや女優とは一線を画した、
アイドル・キョンキョンや女優・小泉今日子の魅力を放っていると思います。
今回の映画「病は気から 病院へいこう2」で、ライブ感覚で出来るテレビドラマと、
細かいカットを積み上げる映画の違いを、理解しています。
前作「快盗ルビィ」の時のインタビューでは、「テレビドラマと映画で演技を分けてはいない。
違いは、映画が後世に残るメディアであり、賞等で評価される事。」と言っていました。
なお、小泉今日子のテレビドラマにおけるライブ感覚の演技は、
後に「センセイの鞄」のDVDメイキングで、演出の久世光彦が、その暴走ぶりに呆れていました。
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72 匿名 (17/09/11(月)05:18:46 ID:9qoL22SBc) 
月刊カドカワの93年2月号の、8ページ目です。
「救いようのない暗い役って私には来なかった。」
98年の映画「踊る大捜査線」でのゲスト出演の役まで、ありませんでした。
その日向真奈美役を、キョンキョンが楽しんで演じている事を知った本広克行監督は、
2010年の「踊る大捜査線」三作目で、日向真奈美役を膨らませていました。
キョンキョンに日向真奈美役をキャスティングした亀山プロデューサーは、
95年に主演ドラマ「まだ恋は始まらない」をプロデュースしましたが、
キョンキョンの魅力を発揮出来ず、小泉今日子本人の意向を研究して、キャスティングしました。
「少し前に何本か映画の企画があって〜」
29で書いた、監督の崔洋一からの汚れ役のオファーも、その内の一つでした。
「私は恋愛している人にけっこう水ぶっかけるような事を言うらしいんですよね。」
最近でも、親友のYOUに、水をぶっかけているようです。
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73 匿名 (17/09/15(金)04:49:10 ID:TKLib3fPM) 
月刊カドカワの93年2月号の、9ページ目です。
10年を超えても、なおトップアイドルとして活躍を続けていたのは、
女性アイドルではキョンキョンだけでした。特に90年代前半は、
80年代のトップアイドル達が次々とアイドルを卒業して行く中、
キョンキョンは国民的アイドルと呼ばれ、より注目される存在となります。
他に誰も経験した事のない、長い間トップアイドルとして世間の注目を浴び続けている生活。
「時々旅行に行ったりしてやっとバランスを保ってる。」
精神的なバランスを保つ事が如何に大変か、良く分かります。
でもアイドルとしてのキョンキョンと、私生活の小泉今日子をしっかりと分け、
客観的に自分の事を見る事が出来る小泉今日子だからこそ、
精神的なバランスを保つ事が出来たと思います。
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74 匿名 (17/09/15(金)05:34:11 ID:TKLib3fPM) 
月刊カドカワの93年2月号の、10ページ目です。
詳しくは67で書きましたが、美空ひばりさんの事を、
テレビ出演時に聞かれた時も、同じ事を言っていました。
同世代の女の子が共感するアイドルのスタイルを確立したキョンキョン。
アイドルという職業が、歌手・女優・CM・バラエティー・グラビア等、様々なジャンルの仕事を
持っている事を自覚し、各ジャンルでバランスを取る事によって、徐々に実現して行きました。
受け手のターゲットを、一般大衆からコアなファンまで、
幾つかに細分化するために、各ジャンルを更に細分化しました。
それが長い間飽きられる事なく、新鮮さを保つ秘訣になったと思います。
「当時のCMのスタッフは、今とは熱気が全然違う。」と、今の小泉今日子が振り返っていますが、
それぞれのCMスタッフが、お互いにライバル心を燃やして切磋琢磨した結果なのが分かります。
「私はお金をもらっているんだから、やるのが当たり前。」この考え方を持っていたので、
気を遣われても、天狗になる事はありませんでした。
「才能のある人達によって、どんな色にでも染まれる白いキャンパスになるのが私の役目。」
と、当時語っていますが、それを裏付ける文章です。
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75 匿名 (17/09/20(水)05:17:42 ID:MI5/3Evx.) 
月刊カドカワの93年2月号の、11ページ目です。
CMスタッフが率先してキョンキョンの動作をしてくれる、熱い気持ちにグッときちゃう
キョンキョンが演じているから、CMの効果が絶大になったのでしょう。
たとえ才能があるスタッフても、熱い気持ちがなければ、CMを含めていい仕事は出来なかったと
思います。心がない人達の所へは絶対行けないと、言っています。
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76 匿名 (17/09/20(水)05:30:48 ID:MI5/3Evx.) 
月刊カドカワの93年2月号の、12ページ目です。
92年は、意識して女優業を増やした結果、女優業に対して、より貪欲になり、
演じる側の視線で映画を見て、自分のストックにしちゃうと、言っています。
そんな気持ちの93年に、映画俳優として上り調子の永瀬正敏と出会います。
仕事の面でも、グッドタイミングだったのでしょう。
90年代のキョンキョンB画像76
77 匿名 (17/09/24(日)05:01:19 ID:43LGylDG6) 
ムック本「裏小泉」に戻って、15ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、15ページ目になります。
(白黒の文字ばかりの画像が続かないように、区切りのいい所で交互に載せて行きます。)
当時仲の良かった漫画家・岡崎京子のマンガ「アイドル刑事」が、6ページに渡って載っています。
90年代のキョンキョンB画像77
78 匿名 (17/09/24(日)05:06:25 ID:43LGylDG6) 
ムック本「裏小泉」の、14ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、16ページ目になります。
キョンキョンは、仕事の合間(待ち時間)に、フラッとひとりで外に出かけ、
周りのスタッフをハラハラさせる事が多かったそうですが、
それを上手く「アイドル刑事」に取り入れています。
90年代のキョンキョンB画像78
79 匿名 (17/09/28(木)22:57:57 ID:LfFX.1C1Q) 
ムック本「裏小泉」の、17ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、17ページ目になります。
今日は、ネットの調子が悪いので、画像だけ見て下さい。
90年代のキョンキョンB画像79
80 匿名 (17/09/28(木)23:18:14 ID:LfFX.1C1Q) 
ムック本「裏小泉」の、16ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、18ページ目になります。
90年代のキョンキョンB画像80
81 匿名 (17/10/02(月)04:32:47 ID:QY4aCbp9k) 
ムック本「裏小泉」の、17ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、19ページ目になります。
「アイドル刑事」の5ページ目まで読んで、最初から出てくるHAL-TVが、
映画「2001年宇宙の旅」に出てくる、反乱するコンピュータHAL-9000から
付けた名前である事が分かります。
90年代のキョンキョンB画像81
82 匿名 (17/10/02(月)05:06:37 ID:QY4aCbp9k) 
ムック本「裏小泉」の、16ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、20ページ目になります。
最後にも出てくる「靴にがびょうが」のエピソードは、キョンキョンが子供の頃に
好きだったというドラマ「赤い靴」に出てくるエピソードなのでしょうか。
岡崎京子も好きだったから、2回も載せているのかも知れません。
90年代のキョンキョンB画像82
83 匿名 (17/10/11(水)03:13:15 ID:yXwpP8oik) 
ムック本「裏小泉」の、19ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、21ページ目になります。
この時期に発売されたビデオ「Fade Out 〜KYONGKING HONGKONG」に合わせて、
香港が舞台になっているコーナーです。
何故、1997年なのか。答えは、次のページです。
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84 匿名 (17/10/11(水)03:21:45 ID:yXwpP8oik) 
ムック本「裏小泉」の、18ページ目の上です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、22ページ目になります。
文字が読みにくいですが、1997年は香港が中国に返還された年です。
このツアーパンフは、1989年に作られているので、8年後を予想して書いてあります。
自由な資本主義から共産主義に変わる事について、対話形式で書いてありますが、
今の中国を見ていると、一党独裁のまま資本主義に走っている気がします。
90年代のキョンキョンB画像84
85 匿名 (17/10/15(日)21:51:25 ID:b/Msl.4pg) 
ムック本「裏小泉」の、19ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、23ページ目になります。
キョンキョンが、今までで一番髪を伸ばしていたのが、このツアーの前に発売された
シングル「Fade Out」のジャケット写真の頃。その後、テレビ出演時には、
このカットのように、髪をバッサリ切りました。ザ・ベストテン出演時には、
このショートカットの呼び名を考えていなかったので、返答に困っていましたが、
その後のザ・トップテン出演時には、「部活少女カット」と命名していました。
顔が小さくてショートカット が似合うキョンキョンは、
「部活少女カット」で、より若返って見えました。
隣にいるのは、ジャッキー・チェンでしょうか。
90年代のキョンキョンB画像85
86 匿名 (17/10/15(日)21:59:22 ID:b/Msl.4pg) 
ムック本「裏小泉」の、18ページ目の下です。
ツアーパンフ「スーパーウルトラハード」の、24ページ目になります。
中国料理の前にいるキョンキョンのカット。(合成ですが)
この香港ロケで香港が気にいったのか、90年の夜ヒットでは、香港中継の回に出演し、
中国料理のフルコース4種類を紹介していました。
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